■松兼氏ご挨拶
■「第一部」4人の女性たちのお話
■「第二部」「この子がいる、しあわせ」を語ろう
松兼氏ご挨拶
みなさん、こんにちは。 私は大学卒業以来、もう20年以上もパソコンのキーを鼻先で打って作家活動を続 けています。その時の流れの中で、額の領土拡大が徐々にすすみ、髪の毛は減っていき、今ではこんなに大きなおでこになってしまいました。でも、それと反比例するように、書くことを通してたくさんの出会いに恵まれ、しなやかで個性豊かな縁を結ぶ喜びを知りました。
16冊目の著作となる今回の 『この子がいる、しあわせ』も、その例外ではありませんでした。この本は私が車イスに乗って2年間にわたり、さまざまな障害があるわが子と共に生きる4人の女性たちを取材して書き上げたものです。
彼女たち4人の年令、生い立ち、生活の様子はそれぞれに違います。でも、どの方もわが子の障害と遭遇して、否応なく真っ先にその[生きづらさ]と向きあいました。そして、それをきっかけに彼女たち自身の人生もたくましい生命力を放ちだしました。
彼女たちはそれぞれどんな家庭に育ち、どんな青春時代を送り、どんな人を愛したのか? そして、その続きとしてわが子の障害にどう喜怒哀楽して、人生の風景を変えていったのか? 今回、何よりもそれを描き出したいと思いました。
本の帯にある「大変だけど、それだけじゃない」は、まさに彼女たち4人に共通する人生のキャッチコピーで、それは同時に、生まれてからずっと脳性マヒの障害とともにある私自身の毎日を言い当てているものでもあります。今回の本を通して、4人の女性たちとそのことをよりたしかに確認しあえました。
くわえて私の予想通り、彼女たちの物語には目に見える障害のあるなしに関わらず子育て、進路、周囲との人間関係をはじめ、目の前の「生きづらさ」に手こずっている人たちに向けての心強いヒントがたくさん詰まっていました。それをもっと多くの方々にも広げ、新しい縁を結びたいと思い、今日の語る会を企画しました。短い時間ですが、楽しい音楽や歌も織り交ぜながら、4人の女性たちとの語らいをスタートさせたいと思います。
| 語らいの水先案内人は、ご自身も障害がある子の母親で、ご本人は「そんな歳じゃない」とお怒りになるかもしれませんが、いわば4人の女性たちの大先輩に当たる野辺明子さんです。それでは野辺さん、よろしくお願いします。 |
「第一部」4人の女性たちのお話
今回のイベントには『この子~』に登場する4人の女性が参加。アナウンサーの方が『この子~』の中から、各女性の章の一部を朗読(バイオリン演奏と共に)。その内容について、司会の野辺明子さんが質問、そして女性たちがコメントするという形で進められました。
野辺明子さん 1944年生まれ。上智大学文学部卒業。長女の障害をきっかけに、1975年に先天性四肢障害児父母の会を設立。以後、障害児の医療や福祉、生命倫理問題などに、親の立場からかかわる。著書に『さっちゃんのまほうのて』(共著、偕成社)、『魔法の手の >こどもたち』(太郎次郎社)、『障害をもつ子のいる暮らし』(共著、筑摩書房)、『障害をもつ子を産むということ-十九人の体験』(共著、中央法規出版)など。 |
●水島三千代さん「障害は治らないと娘に告げた日」
水島三千代さん 1964年生まれ。大学卒業後、郷里の役所などで働いた後結婚。長女が脳性まひで車いすの生活となるが、自然体で、ひとつずつ車いす生活のバリアを取り除いてきた。小学生の弟と2人の子どもの育児に追われるかたわら、趣味のお菓子づくりにも精を出す毎日を送っている。 |
<朗読内容>
脳性まひで車いすの娘さんがクリスマスに言った一言について。
| 「今年のクリスマスはプレゼントはいらないから、歩けるようにして欲しいってサンタクロースに手紙を書こうかな」。それは、あまりにも純粋すぎるわが子の願いだった。 |
●中田みどりさん「パニックとリラックス」
中田みどりさん 1948年生まれ。高校卒業後、洋裁学校を出て自宅で洋裁の仕事をしたのち、結婚。自閉症だった長男の子育てに試行錯誤しながらも、子どもの「そのまま」を受け止め毎日を楽しんできた。現在は親の会の運営する喫茶店の店長として知的障害をもつ若者とともに忙しく働きながら、絵画教室にも通っている。 |
<朗読内容> 自閉症でパニック障害を持つ息子さんが静かな時に思ったことについて。
| めずらしく静かになってくれると、一瞬、『殺してやろうか』という思いが、胸をよぎったんですよね。 |
中田:
殺そうにも殺せなかったですけどね。騒いだらこのやろうと思うけども、結局かわいいし、ふと、われに返ると普通の生活の中では、今晩の食事を何にするか考える方が大切だったりするんですよね。
野辺:
周りの方からサポートが色々あったのでは?
中田:
色々教えてもらいました。海外の本で治った人がいたので、治るかもと思ったこともありました。でも、逆に治らないのはさぼっているのではと思ったりもしました。
中田:
最初は普通になるかもと思い、色々と努力していました。けれど、結局、息子は息子で良いと思うようになりました。そのきっかけが、学校では「一人でいてもカレーが作れれば食べることに困らない」という理由で生徒にカレー作りを熱心に教えている話を夫にしたら、「カレーなんて作れなくて良い。1人になったら買ってきたものを食べれば良い」といわれ、納得したことでした。
野辺:
会場の方へのアドバイスなどありますか?
中田:
よく障害を個性だと思えば良いって言う人がいるけれども、「個性」という表現には疑問を持っています。会場の方たちへのアドバイスは難しいですが、障害は治らないと思うことも必要です。
●熊木聖子さん「親子3代の障害と向き合って」
熊木聖子さん 1954年生まれ。27歳で看護師資格をとり、現在は横浜市の北網島養護学校で重症心身障害の子どもの医療的ケアにあたっている。母、自分、娘と3代に渡る口唇口蓋裂という障害を受け止め、“障害”をキーワードに自分を見つめ続けている。 |
<朗読内容> 自身の口唇口蓋裂が母からの遺伝だということを知ったときの気持ちについて。
| 私も外見的な問題と言葉の問題を持ちながら育ってきました。中学時代からこのことで深刻に悩み、苦しみました。まして、結婚して子供を産むなどということは、この苦しみを世代を越えて延々と生み出していくことにつながり、私でピリオドをつけなければならない、子供を産むなんていう無責任なことは私にとって罪悪、してはならないこととして、自分に言い聞かせてきました。 |
野辺:
ご自身も障害をもっているんですね。
熊木:
自身の顔の悩みは誰にも言えなかったですね。特に母親には。
自分が辛いと思っているのを見られたくなかった。
また、言っても周りの人には分からないな、と思っていました。
野辺:
手術については?
熊木:
小学校のときに手術したのですが、とても期待して受けたにもかかわらず思ったよりきれいにならなかったのが、ショックでした。また、漏れる声がいやで、朗読の授業をエスケープしたりもしました。
野辺:
恋愛小説がきらいだそうですね。
熊木:
自分の子どもを生みたくなかったので、自分には関係ないものであると考え
一切読みませんでした。でも高校時代には結婚は良いなあと思ってましたけどね。
野辺:
24歳の時に看護師になられたんですね。
熊木:
医者と対等に話したかったから。また、それまでは自分の感情を抑えてきたが、自分の思いを伝えていかなければならないと思ったからです。
野辺:
その後、お見合いをし結婚。そして子どもの問題がでてきた。でも、子どもが生まれた時に、(娘が口唇口蓋裂だったが)ご主人が「元気な子どもで何よりだ」と言ったことがとても嬉しかったそうですね。
熊木:
主人と分かち合えた気がしました。正直なところ、ダメなら1人で育てようと思っていました。今まで悩みを他の人と分かち合うことをしてこなかったので、初めて1人じゃなくて、2人で分かち合えることが嬉しかった。それに、娘を受け入れられるということは、私を受け入れてもらったということでもありましたから。
野辺:
自分と同じ病気の子なら、育てることができると思ったそうですね。
熊木:
多分、他の障害だったら難しいと思います。でも、自分は幸せになったから良いが、もう一度繰り返せるとは限らない。だから、これからも悩んでいきます。
●中畝治子さん「“上手に諦める”生き方」
中畝治子さん 1951年生まれ。日本画家。東京芸術大学在学中に同級生だった常雄さんと結婚。長男に重度の障害があったが、子育てを夫と分担しながら生活をたのしみ、日常の風景を作品にしている。長男は17歳で逝去し、現在は次男・長女との4人暮らし。 |
<朗読内容> とても大切だが本人も嫌がり自分たちの生活の負担にもなる訓練について。
| 子供の障害を少しでも軽くしようとするために、家族としての暮らしを犠牲にしてしまう。それはやっぱり、普通じゃないなぁって思ったんです。 |
野辺:
治せるものなら治したいと思うのは、障害を持つ親の全員の思いですね。
中畝:
心を鬼にして注意することに慣れなければならなかった。でも、やっているうちに、これで本当に良いのかと思った。
野辺:
息子さんへの時間が生活のほとんどになり、自身の人生がダメになると思ったこともあるそうですね。
中畝:
最初、それまで2人で絵を描いていた(夫婦とも絵描き)のが、突然、子供が生まれ、男女という性別役割分担が突然生じてしまい、キツかった。
野辺:
その後、ヘルパーさんに来てもらうようになりますね。
中畝:
ただ女性の私が見ている時はだめで、主人にしかつかなかった。
野辺:
そういえば、息子さんに面白いニックネームをつけたそうですね。「何にも仙人」。
中畝:
そうなんです。何にも出来ないにもかかわらず生きていることが、逆にこの子は完璧なんじゃないだろうか、と思えるようになりまして。
野辺:
あと、息子さんは中畝さんに文化(障害という)を与えてくれたと。
中畝:
そうですね。
野辺:
一番息子さんがすごかったのは?
中畝:
息子からエネルギーをもらっていたことですね。息子の周りの人の温かい部分を引き出す力があった。それはスゴイことで、私もそうだった。あのとき以上の温かい気持ちにはなれないと思います。
野辺:
ヘルパーなどについて、何かありますか。
中畝:
いろいろとサポートしてもらえるようにはなったが、働く親にはまだまだ難しいと思います。
| 最後に会場の方々に、4人の女性から「一言メッセージ」 |
水島: 普通の生活をしている健常者の人は、あまり年齢幅のある人には会えないが、障害を持つ息子がいたことで、色んな方たちと会えたのが良かった。
中田: 仲間が出来たこと、家族が誰もこんな子いらないと言わなかったことは嬉しかった。あと周りに感謝できたこと。
熊木: 子どもを生むことには悪いイメージしかなかったが、生んでみたら自分を見つめることができたので、産んでとても良かった。
中畝: 子どもが生まれたとき、絶対幸せになれないと思った。でも、すごい幸せでした。
■ 第二部」「この子がいる、しあわせ」を語ろう ~会場のみなさんとのお話~
会場に来て頂いた、障害を持ったお子さんを持つ方々から、先輩である5人(司会の野辺さんも含め)の女性たちへの質問の時間。
- 今まだ、障害児をもったばかりの方へのアドバイスをお願いします。
- 水島:
最初、子どもを普通の学校へ入れようとしたが、まず外へ一歩でることが難しかった。親の会を知って、仲間が出来たので、そういう仲間を見つけると良いと思います。 - 周りの人にはどう言っていましたか?
- 参加者:
私の子供の場合は左手の指がなく、右手は親と子しかなかった。 私は団地に引っ越した時に、すぐに周りに伝えました。それと、本人から人生で一回だけ指のことを「ごはんをいっぱい食べてたら生えてくる?」と聞かれた。その時は、生えてはこないけど、出来ることだけを一生懸命やろうと伝えた。大人になって「指あったほうが良かった?」と聞いたら、「ないより、あったほうが良かった。」と言われました。恐れずにやりたいことをやらせたのがよかったです。今では野球、ビリヤード、車の免許もとり、今では車屋をやっています。 - 養護学校側で取り組むことは何かないでしょうか?
- 中畝:
楽しく豊かな時間を過ごさせてほしい。少しでも多くの人の障害児の文化を知ってほしい。
熊木:
医療者の支援が少ない。医療と教育がもっと近づけばよいと思います。医療的フォローが欲しいですね。
松兼:
先生が広い世界を知ってほしい。養護学校だけの世界ではなく、色々な世界を知ってそれを子どもたちに伝えてほしいと思う。 - 松兼さんへ、詩についての感想
- 参加者:
障害児を持っている私をして、子どもは幸せかといつも思う。みんなが同じ思いを抱えていると思います。障害児はこれからも増えていくと思います。私はこれから、今後、生まれてくる子供たちのためにも生きていく世界を広げたい。少しでも広く世界を広げていきたいです。参加してよかったです。来てよかったです。良い会でした。
「エンディング」 ~松兼氏作詞の歌ともに~
曲目:「その人を探して」(作詞:松兼功/作曲:岡野恭子)
何も見えない 暗闇に
ボールを投げる
風をキャッチする
その人をさがして
どんなに投げても 誰一人
いないのかもしれない
だけど投げなければ
それさえも分からない
だから今夜も
きっと明日も
暗闇に ボールを投げ続ける
ここにいる私をキャッチする
その人をさがして
顔が見えない 人波に
ボールを投げる
声に振り向く
その人をさがして
たとえば頭に ぶつかって
怒られるかもしれない
だけど投げなければ
いつまでも独りきり
もっと遠くに
もっと近くに
人波に ボールを投げつづける
呼びかける私に振り向く
その人をさがして
「あなたとの景色に」(作詞:松兼功/作曲:大竹創作)
歌:岡野恭子、ピアノ:大竹創作
あなたと出逢って いまの私が生まれた
不安と希望のシーソーゲーム
最初はやっぱり 不安が重かったけれど
あなたと暮らして 愛がしっかり地に着いた
出逢わなければ 知らずにいた涙
感じなかった怒り こころからの景色に
しあわせになる方程式なんて
もういらない
あなたと歩いて いまの私が大好き
勝ち負けではないマラソンロード
みんなとおんなじ スピードに近づくよりも
あなたと歩けば 人とたしかに結ばれる
息が切れたら 涙でひとやすみ
風が運んでくれる その言葉の優しさ
胸に広がるあなたとの景色に
人を追い越す全速力なんて
もういらない
振り向かれたら 笑顔で“こんにちは”
自分に胸を張って ラブソングの口笛
私になれるあなたとの景色に
自分を偽る方程式なんて
もういらない
あなたと出逢って そのままの私が生まれた
あなたと歩いて そのままの私が大好き
「この子がいる、しあわせ」を語る会 概要
| 日時 | 2004年9月4日(土) 14:00~16:30 (開場13:30) |
| 会場 | 横浜ラポールホール(横浜市港北区鳥山町1752) |
| 主催 | 「この子がいる、しあわせ」を語る会実行委員会 |
| 協力 | 横浜「難病児の在宅療育を考える会」・マザーズ ジャケット |