介護マガジン

ケアの達人日記

イライラが吹き飛んで
  • 車いすイメージ

神奈川県の関内で開かれた知人の画家夫妻の個展に、助手の玲さんと出かけた。 その道すがらまず、横浜に向かう湘南新宿ラインに乗るために高田馬場駅で西武新宿線から山手線に乗り換えて、新宿駅を目指すことにした。通常、西武線、山手線ともにエレベーターが完備されている高田馬場駅では駅員には何も声をかけず、そのまま車イスで電車に乗り込むのが常である。その方が時間的にもスムーズに運ぶのだが、この日はちょっと事情が違っていた。日夜を問わず、乗降客の数が日本一の新宿駅で人込みをかき分けての乗り換えは、いつもただでさえひと苦労になる。加えて、湘南新宿ラインは普段からあまり乗り慣れておらず、余計に手間取ることが予想できた。そこで、新宿駅で電車を降りたところから湘南新宿ラインのホームまで、駅員に案内してもらいたいと考えたのだ。玲さんが、高田馬場駅の改札口でその旨を伝えると、対応した駅員は「上(ホーム)で新宿駅へ手配するので、エレベーターで上がったところで待っていてください」と返した。
言われた通りにエレベーターでホームへ上がり、すぐ横のスペースに陣取って待機したが、10分近く経っても連絡を受けた駅員はなかなか現れなかった。分刻みで先を急ぐ日程ではなかったものの、それだけ待たされると少なからずイライラしてきて、「結構遅いね」と辺りをキョロキョロし、玲さんも「そうだね」と小さくため息をついた。その数分後だった。背後から、「大変お待たせして、申し訳ありませんでした。」という若い女性の声。振り向くと、スラックススタイルの制服を着た駅員さんが立っていた。そして彼女は「これから新宿駅に連絡しますので、もう少しだけお待ちください」と微笑みかけた。瞬間、彼女の丁寧な対応と優しい笑顔に事前のイライラが吹き飛んで、こちらも「ハイ、お願いします!」と勢い込んだ。言葉や表情の1つにも自然に相手を思いやる心が宿り、その場の状況を良好にするホスピタリティ。彼女には、多くの女性に共通するそんな潜在的な能力が備わっていた気がした。

女性の社会進出とバリアフリー

その彼女がホーム上にある電話で新宿駅へ連絡を取っている間に、反対側のホームに電車がすべり込み、ドアが開くと別の女性駅員の声で「お客様をご案内中です」とのアナウンスが流れた。それは、ホーム上にいる駅員が電車内の車掌、運転手に車イス利用者が乗降中であることを伝える定型のフレーズである。とっさにアナウンスの方向に視線をやると、声の主である女性が素早く電車内に持ち運び式のスロープを立てかけ、介助者なしで単独行動していた車イス利用者を後ろから押してサポートした。乗車を確認後に、再度、その旨を車内のスタッフに伝える「ご案内、終了しました」とのアナウンスが流れた。アナウンスの声に、その場にいた自分自身を含めて「電車を利用する車イスの人も、それをサポートする女性の駅員さんもずいぶん増えたなぁ」と改めて実感した。とりわけひと昔前であれば、車イス利用者の乗降をサポートする駅員は、男性だけに限られていた。それがここ数年になって、徐々に女性駅員の姿を見るようになり、私自身も最近、彼女たちの手を借りる機会が増えた。それだけ、女性の職業的な社会進出が年とともに進んだということだろうか。
そう言えば最近、電車の車内に流れる車掌のアナウンスにも女性の声が登場するようになったし、この6月にはJRの四ッ谷駅で初めて女性の駅長さんが誕生したというニュースを目にした。また鉄道以外でも、ヘルパー資格を持った女性ドライバーのタクシーに乗り合わせたり、宅急便の荷物を運ぶ女性の姿を多く見かけるようになったりと、彼女たちの職業の幅は間違いなくどんどん広がっているのだろう。それは前述した女性の多くに備わっている本能的なホスピタリティが、社会の随所に広がっていくことを意味しているのではないか。多くの女性ヘルパーが介護の担い手になっているように、結果、それによってお年寄り、障害のある人たちをはじめ、手助けを必要とする人たちのバリアフリーも推し進められていくはずである。

車イス操作に長けて

一方で、彼女たちがそこまで現場で活躍できるようになるまでには、男性の駅員と同様にかなりの量の事前研修を受けているはずである。
そう言えば、大学時代に3年以上、私のケアに入っていたナオキ君も去年の4月にJRに入社し、3ヵ月あまりの研修を受けて、今、都内沿線の主要駅で勤務している。大学でも社会福祉を専攻していたナオキ君は、しばしば私の車イスを押して外出していたし、サークルでは障害のある子どもたちと一緒にレクリエーションをする活動のリーダーをしていた。それだけに車イスの操作にはかなり長けていて、新人研修のなかでも仲間たちに色々と教える場面があったそうだ。曰く「おかげ様でその分野では人気者になれましたし、上司にも一目を置かれるようになりました(笑)」。
社会福祉を専攻していた学生が鉄道会社に就職することは珍しいかも知れないが、考えてみれば、鉄道には当然、お年寄りや障害のある人たちをはじめ、社会的なサポートを必要とする人たちも多数、乗り込むわけで、ナオキ君のような存在は貴重になってくるのでないか。彼と同年代であろう2人の女性駅員さんの働きぶりを目の当たりにして、ナオキ君の顔と言葉を思い出し、そんな思いも胸をかすめた。と同時に、ナオキ君が車イスの操作に長けていたがゆえ「彼女たちみたいな可愛らしい女性の同僚にも、モテたんじゃないかなぁ…」と思い、つい顔がニヤニヤとなった。

再三の笑顔

その直後に、新宿駅に連絡を取っていた先の女性駅員さんがまたまた「大変お待たせしました。次に来る電車にお乗りください」と優しく微笑みかけた。彼女の手にも持ち運び式のスロープがあったものの、いつもは自力で前輪を上げて、車イスを乗降させている玲さんは彼女に向かって、「スロープは結構です」と言った。玲さんのように日々、車イスを押して行動して操作に精通すると、ホームと電車の間がよほど離れていない限り、スロープを使うより自力で乗降させたほうが周りの人たちに気を遣わず、事がスムーズに運ぶケースが多いからである。彼女も玲さんからの言葉でそれを察知したらしく「それでは新宿駅でもスロープは必要ありませんか?」と聞き返した。玲さんが「ハイ、かまいません」と会釈すると、彼女もズボンのポケットからマイクを取り出して「お客様、ご案内中です」とアナウンスした後、前輪を上げるタイミングに合わせ、車イス前方のパイプ部分を持って軽く上に持ち上げてくれた。その何げないサポートにも「慣れているなぁ」と思いつつ、玲さんと2人して後ろを振り向き、彼女に「どうもありがとうございました」。すると、彼女は「お気をつけて、いらして下さい」と再三の笑顔を浮かべた。

打って変わっての無愛想

ところが、私たちが乗り込んだ電車が新宿駅に着くと、ホームに小さく口ひげを生やした中年の男性駅員が片手に例のスロープを持って立っていた。その姿が視界に入ったとたん、玲さんが「アレ、おかしいね」とつぶやき、私も「そうだね」と相づちを打った。そう、玲さんが高田馬場駅の彼女に言った「スロープは結構です」との伝言がちゃんと伝わっていなかったのだ。高田馬場駅の彼女が私たちを見送った後、新宿駅にその旨を伝えるのを忘れたのだろうか。それとも、ちゃんと伝えたにも関わらず、それを受けた新宿駅側の内部での連絡が上手くいかなかったのだろうか。いわんや、出迎えることになった口ひげの男性駅員が伝言は受けたものの、自身で「やっぱり、マニュアル通りにスロープがあったほうが良い」と判断したのだろうか。瞬時にあれこれと伝言が伝わらなかった理由を考えていると、電車のドアが開き、男性駅員が新たに車内に乗り込もうとする人たちを片手で制止して、無言でスロープをセットした。それを使って下車している途中で、男性駅員に向かって「ありがとうございます」と会釈したのだが、彼は無反応のまま、マイクを握って「ご案内、終了です」とアナウンス。その口調もぶっきらぼうで、反射的に「感じの良かった高田馬場駅の彼女とは、だいぶ違うなぁ」と思った。くわえて男性駅員は、眉間にしわを寄せながら強面の声で「エレベーターの場所はわかりますか?」と尋ね、そこにはこちらを威圧するごとくの雰囲気が漂っていた。玲さんが「ハイ、わかります」と応えると、男性駅員は手に持っていたスロープを指して「これを片付けてくるので、先にエレベーターの前まで行っていてください」と告げ、ホームの一角にある収納場所に走っていった。玲さんは横目でその背中をチラッと見て、私の耳元で「あの人、ちょっと怒っている?」と苦笑いした。玲さんもまた、あの彼女とは打って変わっての男性駅員の無愛想な態度に少なからず威圧感を覚えていたのである。

機転を利かす

一方で私は山手線に乗車中からかすかな尿意を感じていたので、湘南新宿ラインに乗り込む前に新宿駅の構内にある多目的トイレで用を済ませようと思っていた。車内でそれを伝えていた玲さんにエレベーターへ向かう途中でもう一度、「トイレ、お願い」と促した直後、スロープの収納を終えた男性駅員がふたたび私たちの横に駆け寄ってきた。すかさず玲さんが「ちょっとトイレに寄って行きたいんですがー」と言うと、男性駅員は腕時計に目をやって「次の(湘南新宿ラインの)電車がもうすぐ来てしまうので、そうすると20分位、待つことになりますが、それでも構いませんか?」。その問いかけも相変わらずぶっきらぼうで思わず、男性駅員自身が20分余りの待ち時間を面倒だと嫌う節さえ感じてしまった。とは言え、それ以上はトイレを我慢できそうになかったので、玲さんに先んじて言語障害交じりに「ハイ、構いません」と言葉を焦らせた。玲さんがそれを反復すると、男性駅員はひと言だけ「わかりました」と返した。そしてそのままエレベーターで改札口の階に上がると、私たちに「あそこです」と多目的トイレの位置を指し示した後、自身はいったん階段で湘南新宿ラインのホームに駆け下りていった。恐らく、ホームを担当する別の駅員に私たちの乗車時間の変更を伝えに行ったのではないか。
その間に多目的トイレの前に進んだものの、使用中のランプが点灯していて、しばしドアが開くのを待つしかなかった。数分経って男性駅員が戻り、多目的トイレの前で待機していた私たちを見つけると、「誰か、使っているんですか?」と声をかけてきた。玲さんがちょっと困った顔をして「そうなんです…」と応えると、男性駅員は再度、腕時計に目をやったと思いきや、やおら「電車の中にも車イス用のトイレがあるから、そっちを使いますか?」と早口で言った。新幹線のような長距離ならともかく、比較的近距離を走る湘南新宿ラインの車内に車イスでも入れるトイレがあるとは思ってもいなかったため、玲さんと顔を見合わせて驚き、彼女が代表して男性駅員に「ホントに電車にもあるんですか?」と聞き返した。すると、男性駅員は間髪入れずに「ありますよ」と即答し、「次の(電車)が出るまであと少し時間があるから、間に合いますけど、どうしますか?」。いつ開くかわからないトイレの前で待っているより、その方がいいと思った私の気持ちを以心伝心した玲さんが「それじゃ、次のに乗ります!」と勢い込むと、湘南新宿ラインのホームへ降りるエレベーターを指差して「あれで下に降りてきて下さい」と言い残し、自身はまた全速力で階段を駆け下りていった男性駅員。その姿に何とか次の電車に間に合わせようとする必死さを感じ、「見かけと違って、意外と良い人なんだ」という思いが湧いた。そして私たちも急いで指示されたエレベーターでホームに降りると、男性駅員が例のスロープを持って、11号車と記されたスペースで「こちらです」と手招きした。彼の横に立ち、玲さんが私にポツリと「でも、車イス用のトイレが何号車にあるかはわからないね」と言った瞬間、彼が「ここの11号車についていますから、大丈夫ですよ」と初めて微笑んだ。その言葉通り、間もなく到着した電車の11号車に乗り込むと、目の前に車イス用トイレがあり、すぐに用を済ますことができたし、20分近く後発の電車を待つ必要もなくなった。トイレから出て、正面にあった車イスのためのスペースに落ち着くと、玲さんも「あの駅員さん、最初は無愛想に見えたけど、湘南新宿ラインの車両の構造もよく知っていたし、かなり機転が利く人だったね」と笑った。その機転とは長年、様々な現場で培ってきた経験とベテランならではの豊富な情報によるものだろう。そう考えると短時間の表面的な印象だけで、若い女性の駅員さんの対応と比べて彼を批判的に見てしまった自分自身を再度、「ちょっとミーハーだったかなぁ?」と反省した。