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筆者プロフィール
名物は何ですか? 女子大生のキイさんが、わが家にケアに来だして間もなかった頃だった。彼女は、初心者は誰でもそうであるように最初、私の言語障害まじりの言葉がなかなか聞き取れず、申し訳なさげに首をかしげることが多かった。その度にこちらにも彼女の当惑感がストレートに伝わってきて「何とか、わかるように話さなくては…」と肩に力が入り、余計に言葉が出にくくなった。そんなある日、キイさんと夕食をしている時、晩酌の焼酎の水割りを作ってもらった。それはいつもより焼酎の分量が多かったためか、ほどなくほろ酔い気分になって、何だか舌も滑らかになった。もちろん、そうなっても私の言語障害が完全に消えるわけではなかったが、こちらの口数が増えて行くにつれ、キイさんの緊張もほぐれていったらしい。そこで言う緊張とは、慣れない言語障害に対して「わからなかったら、どうしようー」という不安であり、そのためにそれまではキイさんの口数も少なかった気がする。でも、その場の勢いに乗って北陸にある彼女の実家界隈の「名物は何ですか?」と話を向けると、あっという間にそれに応える口調が弾んでいったのだ。聞けば、酒所だけあって、おいしい日本酒には事欠かず、キイさんの実家でも晩酌に東京の居酒屋では1杯千円以上する美酒を呑んでいて、彼女自身も折に触れてたしなんでいるとのこと。私が思わず「それは羨ましいなぁ!」と大はしゃぎすると「そうなんですよ、お酒だけは自慢できるんです」と嬉しそうに笑い返したキイさん。 体験してのスキル たいていの人が、故郷など自分の身近なことについて話していると、いきいきしていくもので、私への介助体験が浅く、会話に戸惑っているケア者には半ば、意識的にこちらからその手の話題を振るようにしている。この時も故郷の話ををきっかけに、大学で介護を中心に社会福祉を専攻するキイさんは私が言っている言葉の意味が聞き取れない時にも、臆せずに笑顔で「すみません、もう一度お願いします」と言うようになった。戸惑ったり、わかった振りをするのではなく、そのひと言を口に出す勇気を持つことが言語障害がある人との会話を弾ませる第一歩だと思う。それはきっと、ケア者一人ひとりが実際の現場で体験してみないと、身につかないスキルではないか。キイさんも後日「松兼さんを介助させてもらっていると、大学の講義では教えてもらえないこともどんどん発見できます」としみじみと言った。一方の私自身「彼女はわかるまで聞き返してくれるんだ」と安心感を抱き、ほろ酔いも手伝って肩の力が抜けると、前より言葉がスムーズに出るようになった。きっと、それもまた介助者それぞれと実際に相対していくうちに生まれる信頼関係なのだろう。 時を超えたシンクロ さて、そんな信頼関係がキイさんと私の間に芽生えた雰囲気を感じ取ったのか、廊下で寝ていたわが家の黒猫かりんちゃんも食卓に近づいてきて、キイさんに向かって「ミャーン」と鳴いた。すると、キイさんがすかさず「かりんちゃん、何か食べたがっているんでしょうかね?」と微笑み、私も「たぶん、そうだと思うよ」と小さく笑った。その直後だった。かりんちゃんが私たちのスキを狙うように、片方の前足をサッと食卓に上げ、お皿に乗った焼き魚を略奪しようとした。瞬間、私が「かりんちゃん、ダメ!」と叫ぶと、それに合わせるようにキイさんも「食べたら毒だよ」と声を上げて、かりんちゃんの前足を払いのけた。その動きはとても素早く「ずいぶん慣れているなぁ」と感心した。直後に、キイさんが「小さいころ、私の実家でもネコを飼っていたんですけど、ウチのも人間が食べるものを何でも食べちゃったんです。魚や肉類はもちろん、チョコレートなんかも食べちゃって」と声をおどけさせた。その話に「それはスゴイね!」と目を丸くした後「でも、猫の身体には悪いんじゃないの?」と尋ねると、キイさんは「よく友だちからもそう言われたんですけど、ウチのは死ぬ直前までピンピンしていました。もとが丈夫だったんでしょうかね?だけど、父や祖父にはよく怒られていましたね…」。彼女の話に、キイさん家の猫が家族の一員になっていた光景が目に浮かび「わが家のかりんちゃんと一緒だなぁ」と親近感を抱いた。その間にも当のかりんちゃんは再度、獲物を狙って食卓に近付き、食べ物の匂いをかぐように鼻を小刻みにヒクヒク動かした。それを見て、キイさんも実家の猫の姿を思い出したのか「どこの猫もみんな同じですね」と微笑んで、もう一度「食べたら、身体に良くないからダメよ」と言って、かりんちゃんの鼻を軽く叩いて食卓から遠ざけた。それを見て、私が「困ったことに、いたずらなところがまたカワイイんだよね」というと、キイさんはコックリうなずいて「そうなんですよ!だから、父や祖父みたいには強く怒れなくなっちゃって」と小首をかしげた。すると、期せずしてその場に2人の笑い声があふれた。そう、それはかりんちゃんとキイさん家の愛猫が時を超えてシンクロして、私たちの共通の話題になってくれたお陰だった。 セクハラになるかもしれないけど そうなると、キイさんはますます私の言葉を難なく聞き取るようになり、自ずと会話もどんどん盛り上がり「次は何を話そうか」と考えた。その時、条件反射的に「ここらで恋の話を切り出そうかなぁ」という気になった。長年の経験上、年齢が若い介助者の場合、恋愛に関係する話題を持ち出すと、たいてい相手も乗ってきて、話が色々な方向に展開していくのが常である。とは言え反面、身近な話といっても恋愛はプライベートそのものであり、中にはそれについて話を向けると、嫌な顔をしたり、沈黙してしまった人もいた。それだけに恋愛の話題を持ち出すにはある程度、事前に打ち解けた会話や雰囲気をつくり、相手のパーソナリティを把握する必要がある。逆に言えば、恋愛話ができた人とはその後の関係がより密になり、ケアされる場面でも信頼感が増していくことが多い。正直、それまではキイさんとはなかなかそこまでの関係にはなれなかったのだが、そこまで話が弾んだその場で「キイさんなら、恋愛話をしても大丈夫だろう」とチャンス到来を察知したのだ。ただ同時に各所でセクハラが問題になっている昨今の風潮が頭の片隅をよぎり「ピカピカの女子大生のキイさんにプライベートな恋愛のことを尋ねたら『セクハラだ!』と言われないだろうか?」というかすかな不安も走った。でも、その場の勢いは止められず、とっさにニッコリ笑って「セクハラになっちゃうかもしけないけど…」と前置きした後「キイさんはモテそうだから、ちゃんと彼氏がいるんでしょ!?」と水を向けてみた。 意味深な笑い すると、キイさんは小さく笑って「松兼さん、痛いところをツイてきますね」と返した。その様子に「最近、何かあったなぁ」と感じ取った私が、「どうして?」と聞き返すと「実はついこの間、高校の時からずっとつき合っていた人と別れたばかりなんですよ」。微笑みながらも、ちょっぴり声を低くしてそう応えたキイさんに内心「やっぱり」と思いつつ「アラ、まあ、そうだったんだ」と驚いた素振りをした。キイさん曰く「だから今、松兼さんにタイミング良く彼氏のことを聞かれちゃって、思わずドキリとしたんです」。「それは年の功かもね」とおどけた私が「だけど、どうして別れちゃったの?」と尋ねると、キイさんは堰を切ったように別れに至った経緯を話し出した。 聞けば、高校の同級生だった彼氏もキイさんと同じ時期に関東地方にある大学に進学したそうだが、当初からその彼は彼女が大学で社会福祉、とりわけ介護を専攻することに反対していたという。以前にも介護を学んだり、仕事としている若い女性から同じような話を何度となく聞いたことがあるだけに「ボクもそういう話をよく聞くんだけど、どうしてなんだろうね?」と首をかしげた。その理由についてはそれ以上は言葉にしなかったが、男性側が好意を寄せる女性に対して、身体介護をはじめ、見ず知らずの人の身体に触れたり、触れられる仕事に携わることを嫌うためだろうか。はたまた、単に介護職の肉体的な厳しさを心配したり、労働環境の悪さを危惧するためだろうか。頭の中であれこれと自問自答していると、キイさんが「これまで何度も福祉や介護に対する私の思いを彼に話したんですけど、なかなか通じなくて。それで一旦距離を置こうということになったんです」。その声には持ち前の明るさが戻っていたものの、言葉の端々に彼に対する心残りを感じて「それじゃ今、けっこう淋しいでしょ?」というと「そうですね…でも、大学の友だちが徹夜して朝まで話を聞いてくれたので、すぐに元気になりました」。とは言え、そう応えた彼女の口調にも隠しきれない未練を感じ、今度は私が「でも先はまだ長いんだから、いつかまた彼との関係が戻るかもしれないよ」と意味深に笑った。すると瞬間「そうですかね?」と声を高くしたキイさんは、しばし考え込んだ後で「ホント、確かにそういう可能性が全くないとは限りませんものね」と小さくうなずいた。 立ち入ってほしくない話 その日の帰り際、キイさんは「今日、松兼さんに(別れた彼氏の)話を聞いてもらえて、何だかまた気持ちがスッキリしました」と笑った。そしてその日以来、キイさんがわが家にケアに入るたびに、大学での出来事や卒業後の進路など、彼女のその時々の関心事で話が盛り上がるようになった。一方で学生のアルバイトであれ、社会人の専業であれ、ケアはケア者の仕事であり、ケアを受ける側がその人に向かって恋愛話に限らず、プライベートな話を持ちかけるのはいかがなものかという見方もあるかもしれない。それはもちろん、立場を逆にしてケア者の側にも当てはまることだろう。確かに、誰でも人それぞれに第3者にはあまり立ち入ってほしくない話題があるに違いない。前述したように、私もかつてケア者に恋愛話や兄弟のことを尋ねて、嫌な顔をされたことがあった。と同時に、反対にケア者からやおら「年間の原稿料はいくらぐらいなんですか?」などと金銭面について尋ねられ、答えに窮したこともあった。何がその人にとっての立ち入ってほしくない話題かを見極めるのは難しいが、私自身は少なくとも会話のなかで相手の様子に乗り気のなさを感じたら、すぐに話題を変えるようにしている。そう、時として引くことも人間関係を円滑にする技になる。 ディズニー大好き 転じて、ケア者とケアされる側はたいてい1対1の関係であり、その時間が長くなればなるほど、やはり身近な話題が話に上ることが多くなる。先日ももう4年前後、私のケアに入っている女性ヘルパーのEさんと夕食をしている折、テレビニュースからディズニーランドの話題が流れてきた。直後に、普段はおっとりした口調のEさんが「実は私もディズニー好きなんです!」と勢い込んで、意気揚々とそのファンぶりを話し出した。何と、友だちと連チャンでディズニーランドに行ったこともあるそうで、その話に乗ってこちらが「ボクは、アメリカに留学している時にロサンゼルスのディズニーランドへ行ったことがあるんですよ」と話すと「ワァー、羨ましいなぁ!私もホントに一度でいいから、行ってみたいです」といつになく大はしゃぎしたEさん。その日は、それからもずっとディズニーの話で大盛り上がりになり、それまでは表に出てこなかったEさんの一面に触れ、一層親近感を深められた。 二重の“おめでとう” 他方、ちょうど同じ頃、わが家にケアに入って2年が過ぎて、すっかり打ち解けた雰囲気になった前出のキイさんといつものように晩酌をしながら、夕食を食べていた。以前から地元の社会福祉施設への就職を希望していた彼女の合格を知り、自然にその話題で食卓に花が咲き、いつもに増して会話する声が弾んでいった。それとともにお互いの気分がハイになっていくと、またまた条件反射的に「ところで新しい彼氏はできた?」と話を振ってみた。すると、ニッコリ笑ったキイさんが「実は私も松兼さんにお話ししなくちゃと思っていたんですけど、前の彼氏と色々話しているうちにもう一度、つき合うことになりました」。そう聞いた瞬間「アラ、まあ、やっぱりそうなったんだ!それは良かったね」と驚き、かつて「彼との関係が戻るかもしれないよ」と半ばいい加減に口にした自分の予感を思い出した。そして「二重の“おめでとう”だね」と言った後、おかしいやら、嬉しいやらでしばし、吹き出した笑いが止まらなかった。
女子大生のキイさんが、わが家にケアに来だして間もなかった頃だった。彼女は、初心者は誰でもそうであるように最初、私の言語障害まじりの言葉がなかなか聞き取れず、申し訳なさげに首をかしげることが多かった。その度にこちらにも彼女の当惑感がストレートに伝わってきて「何とか、わかるように話さなくては…」と肩に力が入り、余計に言葉が出にくくなった。そんなある日、キイさんと夕食をしている時、晩酌の焼酎の水割りを作ってもらった。それはいつもより焼酎の分量が多かったためか、ほどなくほろ酔い気分になって、何だか舌も滑らかになった。もちろん、そうなっても私の言語障害が完全に消えるわけではなかったが、こちらの口数が増えて行くにつれ、キイさんの緊張もほぐれていったらしい。そこで言う緊張とは、慣れない言語障害に対して「わからなかったら、どうしようー」という不安であり、そのためにそれまではキイさんの口数も少なかった気がする。でも、その場の勢いに乗って北陸にある彼女の実家界隈の「名物は何ですか?」と話を向けると、あっという間にそれに応える口調が弾んでいったのだ。聞けば、酒所だけあって、おいしい日本酒には事欠かず、キイさんの実家でも晩酌に東京の居酒屋では1杯千円以上する美酒を呑んでいて、彼女自身も折に触れてたしなんでいるとのこと。私が思わず「それは羨ましいなぁ!」と大はしゃぎすると「そうなんですよ、お酒だけは自慢できるんです」と嬉しそうに笑い返したキイさん。
たいていの人が、故郷など自分の身近なことについて話していると、いきいきしていくもので、私への介助体験が浅く、会話に戸惑っているケア者には半ば、意識的にこちらからその手の話題を振るようにしている。この時も故郷の話ををきっかけに、大学で介護を中心に社会福祉を専攻するキイさんは私が言っている言葉の意味が聞き取れない時にも、臆せずに笑顔で「すみません、もう一度お願いします」と言うようになった。戸惑ったり、わかった振りをするのではなく、そのひと言を口に出す勇気を持つことが言語障害がある人との会話を弾ませる第一歩だと思う。それはきっと、ケア者一人ひとりが実際の現場で体験してみないと、身につかないスキルではないか。キイさんも後日「松兼さんを介助させてもらっていると、大学の講義では教えてもらえないこともどんどん発見できます」としみじみと言った。一方の私自身「彼女はわかるまで聞き返してくれるんだ」と安心感を抱き、ほろ酔いも手伝って肩の力が抜けると、前より言葉がスムーズに出るようになった。きっと、それもまた介助者それぞれと実際に相対していくうちに生まれる信頼関係なのだろう。
さて、そんな信頼関係がキイさんと私の間に芽生えた雰囲気を感じ取ったのか、廊下で寝ていたわが家の黒猫かりんちゃんも食卓に近づいてきて、キイさんに向かって「ミャーン」と鳴いた。すると、キイさんがすかさず「かりんちゃん、何か食べたがっているんでしょうかね?」と微笑み、私も「たぶん、そうだと思うよ」と小さく笑った。その直後だった。かりんちゃんが私たちのスキを狙うように、片方の前足をサッと食卓に上げ、お皿に乗った焼き魚を略奪しようとした。瞬間、私が「かりんちゃん、ダメ!」と叫ぶと、それに合わせるようにキイさんも「食べたら毒だよ」と声を上げて、かりんちゃんの前足を払いのけた。その動きはとても素早く「ずいぶん慣れているなぁ」と感心した。直後に、キイさんが「小さいころ、私の実家でもネコを飼っていたんですけど、ウチのも人間が食べるものを何でも食べちゃったんです。魚や肉類はもちろん、チョコレートなんかも食べちゃって」と声をおどけさせた。その話に「それはスゴイね!」と目を丸くした後「でも、猫の身体には悪いんじゃないの?」と尋ねると、キイさんは「よく友だちからもそう言われたんですけど、ウチのは死ぬ直前までピンピンしていました。もとが丈夫だったんでしょうかね?だけど、父や祖父にはよく怒られていましたね…」。彼女の話に、キイさん家の猫が家族の一員になっていた光景が目に浮かび「わが家のかりんちゃんと一緒だなぁ」と親近感を抱いた。その間にも当のかりんちゃんは再度、獲物を狙って食卓に近付き、食べ物の匂いをかぐように鼻を小刻みにヒクヒク動かした。それを見て、キイさんも実家の猫の姿を思い出したのか「どこの猫もみんな同じですね」と微笑んで、もう一度「食べたら、身体に良くないからダメよ」と言って、かりんちゃんの鼻を軽く叩いて食卓から遠ざけた。それを見て、私が「困ったことに、いたずらなところがまたカワイイんだよね」というと、キイさんはコックリうなずいて「そうなんですよ!だから、父や祖父みたいには強く怒れなくなっちゃって」と小首をかしげた。すると、期せずしてその場に2人の笑い声があふれた。そう、それはかりんちゃんとキイさん家の愛猫が時を超えてシンクロして、私たちの共通の話題になってくれたお陰だった。
そうなると、キイさんはますます私の言葉を難なく聞き取るようになり、自ずと会話もどんどん盛り上がり「次は何を話そうか」と考えた。その時、条件反射的に「ここらで恋の話を切り出そうかなぁ」という気になった。長年の経験上、年齢が若い介助者の場合、恋愛に関係する話題を持ち出すと、たいてい相手も乗ってきて、話が色々な方向に展開していくのが常である。とは言え反面、身近な話といっても恋愛はプライベートそのものであり、中にはそれについて話を向けると、嫌な顔をしたり、沈黙してしまった人もいた。それだけに恋愛の話題を持ち出すにはある程度、事前に打ち解けた会話や雰囲気をつくり、相手のパーソナリティを把握する必要がある。逆に言えば、恋愛話ができた人とはその後の関係がより密になり、ケアされる場面でも信頼感が増していくことが多い。正直、それまではキイさんとはなかなかそこまでの関係にはなれなかったのだが、そこまで話が弾んだその場で「キイさんなら、恋愛話をしても大丈夫だろう」とチャンス到来を察知したのだ。ただ同時に各所でセクハラが問題になっている昨今の風潮が頭の片隅をよぎり「ピカピカの女子大生のキイさんにプライベートな恋愛のことを尋ねたら『セクハラだ!』と言われないだろうか?」というかすかな不安も走った。でも、その場の勢いは止められず、とっさにニッコリ笑って「セクハラになっちゃうかもしけないけど…」と前置きした後「キイさんはモテそうだから、ちゃんと彼氏がいるんでしょ!?」と水を向けてみた。
すると、キイさんは小さく笑って「松兼さん、痛いところをツイてきますね」と返した。その様子に「最近、何かあったなぁ」と感じ取った私が、「どうして?」と聞き返すと「実はついこの間、高校の時からずっとつき合っていた人と別れたばかりなんですよ」。微笑みながらも、ちょっぴり声を低くしてそう応えたキイさんに内心「やっぱり」と思いつつ「アラ、まあ、そうだったんだ」と驚いた素振りをした。キイさん曰く「だから今、松兼さんにタイミング良く彼氏のことを聞かれちゃって、思わずドキリとしたんです」。「それは年の功かもね」とおどけた私が「だけど、どうして別れちゃったの?」と尋ねると、キイさんは堰を切ったように別れに至った経緯を話し出した。 聞けば、高校の同級生だった彼氏もキイさんと同じ時期に関東地方にある大学に進学したそうだが、当初からその彼は彼女が大学で社会福祉、とりわけ介護を専攻することに反対していたという。以前にも介護を学んだり、仕事としている若い女性から同じような話を何度となく聞いたことがあるだけに「ボクもそういう話をよく聞くんだけど、どうしてなんだろうね?」と首をかしげた。その理由についてはそれ以上は言葉にしなかったが、男性側が好意を寄せる女性に対して、身体介護をはじめ、見ず知らずの人の身体に触れたり、触れられる仕事に携わることを嫌うためだろうか。はたまた、単に介護職の肉体的な厳しさを心配したり、労働環境の悪さを危惧するためだろうか。頭の中であれこれと自問自答していると、キイさんが「これまで何度も福祉や介護に対する私の思いを彼に話したんですけど、なかなか通じなくて。それで一旦距離を置こうということになったんです」。その声には持ち前の明るさが戻っていたものの、言葉の端々に彼に対する心残りを感じて「それじゃ今、けっこう淋しいでしょ?」というと「そうですね…でも、大学の友だちが徹夜して朝まで話を聞いてくれたので、すぐに元気になりました」。とは言え、そう応えた彼女の口調にも隠しきれない未練を感じ、今度は私が「でも先はまだ長いんだから、いつかまた彼との関係が戻るかもしれないよ」と意味深に笑った。すると瞬間「そうですかね?」と声を高くしたキイさんは、しばし考え込んだ後で「ホント、確かにそういう可能性が全くないとは限りませんものね」と小さくうなずいた。
その日の帰り際、キイさんは「今日、松兼さんに(別れた彼氏の)話を聞いてもらえて、何だかまた気持ちがスッキリしました」と笑った。そしてその日以来、キイさんがわが家にケアに入るたびに、大学での出来事や卒業後の進路など、彼女のその時々の関心事で話が盛り上がるようになった。一方で学生のアルバイトであれ、社会人の専業であれ、ケアはケア者の仕事であり、ケアを受ける側がその人に向かって恋愛話に限らず、プライベートな話を持ちかけるのはいかがなものかという見方もあるかもしれない。それはもちろん、立場を逆にしてケア者の側にも当てはまることだろう。確かに、誰でも人それぞれに第3者にはあまり立ち入ってほしくない話題があるに違いない。前述したように、私もかつてケア者に恋愛話や兄弟のことを尋ねて、嫌な顔をされたことがあった。と同時に、反対にケア者からやおら「年間の原稿料はいくらぐらいなんですか?」などと金銭面について尋ねられ、答えに窮したこともあった。何がその人にとっての立ち入ってほしくない話題かを見極めるのは難しいが、私自身は少なくとも会話のなかで相手の様子に乗り気のなさを感じたら、すぐに話題を変えるようにしている。そう、時として引くことも人間関係を円滑にする技になる。
転じて、ケア者とケアされる側はたいてい1対1の関係であり、その時間が長くなればなるほど、やはり身近な話題が話に上ることが多くなる。先日ももう4年前後、私のケアに入っている女性ヘルパーのEさんと夕食をしている折、テレビニュースからディズニーランドの話題が流れてきた。直後に、普段はおっとりした口調のEさんが「実は私もディズニー好きなんです!」と勢い込んで、意気揚々とそのファンぶりを話し出した。何と、友だちと連チャンでディズニーランドに行ったこともあるそうで、その話に乗ってこちらが「ボクは、アメリカに留学している時にロサンゼルスのディズニーランドへ行ったことがあるんですよ」と話すと「ワァー、羨ましいなぁ!私もホントに一度でいいから、行ってみたいです」といつになく大はしゃぎしたEさん。その日は、それからもずっとディズニーの話で大盛り上がりになり、それまでは表に出てこなかったEさんの一面に触れ、一層親近感を深められた。
他方、ちょうど同じ頃、わが家にケアに入って2年が過ぎて、すっかり打ち解けた雰囲気になった前出のキイさんといつものように晩酌をしながら、夕食を食べていた。以前から地元の社会福祉施設への就職を希望していた彼女の合格を知り、自然にその話題で食卓に花が咲き、いつもに増して会話する声が弾んでいった。それとともにお互いの気分がハイになっていくと、またまた条件反射的に「ところで新しい彼氏はできた?」と話を振ってみた。すると、ニッコリ笑ったキイさんが「実は私も松兼さんにお話ししなくちゃと思っていたんですけど、前の彼氏と色々話しているうちにもう一度、つき合うことになりました」。そう聞いた瞬間「アラ、まあ、やっぱりそうなったんだ!それは良かったね」と驚き、かつて「彼との関係が戻るかもしれないよ」と半ばいい加減に口にした自分の予感を思い出した。そして「二重の“おめでとう”だね」と言った後、おかしいやら、嬉しいやらでしばし、吹き出した笑いが止まらなかった。
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