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筆者プロフィール
会議がきっかけで 新宿の京王プラザホテルで仕事関係の所用があり、助手の玲さんと一緒に車イスで久しぶりに足を運ぶことになった。このホテルは、日本の中でもいち早くバリアフリーの推進に取り組んだホテルのひとつだろう。きっかけは、1988年に東京で開かれた第16回世界リハビリテーション会議の会場になったことだった。アジア地域で初めて開かれたこの会議には、93の国と地域から2,800人あまりの参加者が集まり、ホテルの大半を貸し切るかたちで行われた。その中には150人前後の車イス利用者はもとより、様々な障害のある人たちが含まれていた。合計では障害のある参加者は300人以上だったそうだが、それに合わせてホテルの随所に車イス対応のスロープやトイレを設置したり、車イス利用者が動きやすいように広いスペースを取り、入浴する際に必要な福祉機器を備えたユニバーサルルームを15室、新設するなどのかなり大がかりな改修工事が実地された。実はその計画段階で、私も会議を運営した関係者を通し、当事者としての意見や要望を求められ、手すりの位置、トイレ本体を置く角度といった細かな点にまで口を挟んだ。 恋心もリハビリテーション? 世の中にバリアフリーの考え方が紹介されて間もなかった当時、私と相対したホテルの担当者は「こうやって松兼さんのような障害のある方から直にお話を伺うことで、今までは気づけなかった問題とか、考えもしなかったサービスといったものがどんどん見えてきて、私たちホテルスタッフ一人ひとりの世界が広がっていく気がします。その意味で今回、会議の会場に選んでいただいたことはとても光栄ですし、これからの大きな財産になります」と満面の笑顔で言った。もちろん多少はリップサービスの面もあっただろうが、そう言われて悪い気はせず、こちらも笑顔で「使いやすくしていただければ、車イスでのリピーターもどんどん増えていくはずです。少なくとも私は、その1人になると思います」と返した。そんなやりとりを近くで聞いていたのは、主催者から会議の運営業務の大半を依頼されていた企画会社の女性スタッフだった。何をかくそう、その女性スタッフは奇遇にも私の大学時代の2年後輩で、一時期、片思いをしたものの見事にフラレテしまった青森生まれの美人だった。こちらが大学を卒業して以来、およそ10年ぶりの再会だったが、彼女はその場の雰囲気に機転を利かせて「まさに今回の会議が開催されること自体が、障害のある人たちにとって心地よい環境を作り出す“社会的リハビリテーション”になっているんですね」と嬉しそうに相づちを打った。瞬間、大学時代と変わらない彼女の視点の鋭さが感じられ「やっぱり才色兼備だなぁ!」と感心し、その笑顔の眩しさに思わず、一瞬、彼女への恋心もリハビリテーションしたい衝動に駆られた(笑)。 ホスピタリティの進化 そうした思い出があるだけに、京王プラザホテルは個人的にも愛着がある場所になっている。そのため、あの会議以降、障害のある友人、知人から「都内で泊まるには、どのホテルがいいですか?」と聞かれるたびに「料金は少し高めになってしまいますが、いちばん良いのは京王プラザだと思います」と応えていた。それを受けて、京王プラザに宿を取った人の感想も毎回好評で、なかには「施設面といい、スタッフのサービスといい、質がとても高く、自分の国のホテルにもぜひ見習ってほしいです」と言った韓国からの車イス利用者もいた。ただ、奨めた立場の私自身はここ10年近く、京王プラザでゆっくり時間を過ごした機会がなかったので「その後、どうなっているのかなぁ?」というかすかな不安もあった。そこで思い立ってホテルの最新のホームページを覗いてみると、リハビリテーション会議を契機として、点字、手話を使った目や耳に障害のある人たちへの対応も推し進められ、2002年3月にはこれまでの利用者からの声と、バリアフリー建築専門の設計事務所の助言をもとにデザインした新しいユニバーサルルーム10室を増設したとのこと。つまり、会議の際に設けられたものと合わせると、現在、25室のユニバーサルルームが用意されていることになる。ひとつのホテルでそれほどの数の配慮がなされているのは希で、障害のある団体客の受け入れも可能になっている。また「ハード面だけでなく、身体障がい者補助犬の受け入れを法施行前から積極的な推進や、従業員教育での[心のバリアフリー]のマインド醸成への取り組みなどのソフト面の充実化にも取り組んでいます」とも書かれていた。そこには法律、条例の類に定められたからやるのではなく、自分たちのホスピタリティを形にしようという自発的な姿勢が感じられた。それはきっと「あの会議をやったおかげで障害のある人たちへのホスピタリティが根づき、受け継がれ、進化しているためなんだろうなぁ」と思い、会議参加者の1人としてあらためて嬉しくなった。 心地よいアペリチフ(食前酒) さて、そんな思いを抱いてホテルを訪れた当日、所用を終えると「せっかくたまに来たのだから、ここで食べていこうか」と、ホテル内のレストラン街で普段はなかなかできないちょっとリッチな夕食をすることにした。偵察がてら、まずは本館2階のレストラン街を1周してみると、段差がなく、フラットでそのまま入れたり、ゆるやかなスロープが付いていたりと、和洋中を問わず、いずれの店も車イスでも難なく入店できる造りになっていた。レストラン街といっても、構造上の問題で車イスでは入れない店があり、選択肢が狭められるケースも少なくないので、それを見た玲さんは「ここはどこでも入れそうだから、好きな店を選べるよ」と声を弾ませた。いうまでもなく、広くて清潔な多目的トイレもあり、それだけでゆったりした気分で食事ができそうで、私も「やっぱりここは落ち着くね」とうなった。それから20分ほどかけて、他の階にあるレストランにも足を伸ばし、各店のメニューと雰囲気を吟味した。そこにもまた、普段の生活にはないゆったりとした時間が流れ、夕食の心地よいアペリチフ(食前酒)になった。 早合点に要注意 その結果、ふたたび本館2階に戻り、私が「ここにしようか」と言って、ゆるやかなスロープが付いた創作和食料理の店に入ることにした。玲さんが車イスを押してそのスロープを上りはじめると、男性スタッフが「いらっしゃいませ」と素早くこちらに近付き、前方にある取っ手を持って移動のサポートをしてくれた。そして車イスで陣取りやすい席に案内した後で「間もなく、係の者が参りますが、何かお困りのことがありましたら、遠慮なくお声をかけてください」とつけ加えた。その出迎えの対応にホームページに書かれていた「心のバリアフリー」に基づく洗練されたホスピタリティを直感し、玲さんの耳元で「やっぱり、ここに入って正解だね」と小さく笑った。すると玲さんは「対応はね…」とうなずいたものの「でも、肝心の料理は食べてみないとおいしいかどうか、わからないよ」とたしなめるように言った。確かにスタッフの接客が良く「ここは良い店だ」と胸を躍らせても、いざ口にした料理の味がイマイチだと、最初の期待の分だけ「なーんだ」という落胆が大きくなってしまう。私と行動を共にする中で、玲さんもその落胆を何度となく経験しているゆえの苦言だった。直後に「それはそうだね(店やスタッフの)雰囲気だけで早合点するのは悪い癖だね」と苦笑いで自己反省した私に、玲さんは「まあ、あれだけ対応がいいと、(料理の味も)期待しちゃうのもわかるよ」とも言った。 ワイングラスに合わせて それからおよそ1ヵ月。改修工事を終え、リニューアルオープンした数日後にさっそく その会話の最中に着物姿の女性スタッフがオーダーを取りに来て、玲さんがあわてて「何にする?」と私に向かって話を変えた。料理のオーダーはまだ決まっていなかったので、2人してとりあえずいつものように生ビールを注文することに。それに応えて数分後に、お通しと一緒に生ビールを持ってきた女性スタッフが「よろしかったら、お使いください」とストローも差し出した。こちらがストローを使って生ビールを飲むことを予想しての配慮だったが、初めて訪れた店でスタッフの側で自発的にそうした気遣いを見せるのは珍しい。以前にも、ストローを使って生ビールを飲むお客さんに対応したことがあったからだろうか。それとも私の障害が重いため、ひと目で「ストローを使わなければ、上手く飲めないだろう」と思ったのだろうか。いずれにせよ、そこでもまたまた洗練されたホスピタリティを実感し、玲さんの苦言を気にしながらも一段と嬉しくなって「やっぱり、ここはいいなぁ」と思った。直後に、お通しを口にした玲さんが「上品で、とっても美味しいよ! これは、(これから頼む)料理も期待できそうだよ」と声を高くした。その言葉通り、それからオーダーした品はどれもアイデアと手間暇をかけた逸品で、私が「普段はなかなか食べられない味だね!」と歓声を上げると、今度は玲さんも「ホント、功さんの第一印象が当たっていたね」と笑顔でうなずいた。その場の美味しさはもとより、自分の店選びがハズレではなかったことに一安心すると、お酒も進み、同じ女性スタッフに赤ワインを追加オーダーした。 そこで彼女は赤ワインと一緒にすかさず新しいストローを持参し「どうぞ、こちらをお使いくださいませ」と言った。そのストローを見ると、ビールグラスより底の浅いワイングラスに合わせ、長さが短くカットされていた。とっさに短いストローが意図するところが伝わって、玲さんと感激しながら「ありがとうございます!」とお礼を返した。 そう、彼女は通常の長さのままだと、ストローがワイングラスの外に倒れて、飲みづらくなることを瞬時に察知し、自らの判断でそうした配慮をしてくれたのだろう。そこにはまさに「訪れるすべての人に、快適な時間を」というホテル全体の精神があり、それを実戦する彼女の“一流”が働いていた。 手かざしされて スタッフと料理、双方の“一流”にますますいい気持ちになった私たちはそれからも数回、アルコール類をおかわりし、かなりのほろ酔い気分で店を出た。その勢いで、2階の出入り口からJR新宿駅に向かったのだが、途中、ホテルから外の歩道に降りようとした時だった。ドアの付近で辺りを一見した限り、車イス用のスロープはすぐには見つからなかった。もちろん、そこまでの経緯でホテル側が以前にも増して物心両面のバリアフリーに力を入れていることを実感していたので「ちゃんと探せば、必ずどこかにある」とは思った。とはいえ、歩道に降りる段差は5センチほどでいつもはスロープを使わなくても難なくクリアしている高さだったこともあって、玲さんと話して「(スロープを探すのが)面倒くさいから、そのまま(段差を降りて)行っちゃおうよ」ということに。 ところが、2人ともほろ酔い気分で注意力が散漫になっていて、段差に差し掛かる瞬間に気づかず、玲さんが早足で歩いていたスピードのままにいきなり車イスの片方の前輪が歩道に落ちた。その瞬間、私たちはバランスを崩して、車イスもろとも地面に転倒してしまった。あわてて起き上がった玲さんが「大丈夫?」とかけて、車イスを起こそうとしたものの、力が足らず「1人ではダメだ」とほっぺたをふくらませた。それを見て、そこにあったはずの恐怖や痛みより、その場の緊急事態が無性におかしくなり、玲さん共々、ケタケタと笑い出した。すると、その声に近くにいた東南アジア系の顔をした外国人4、5人がこちらをふり向き、“Are you okay?”と駆け寄って、車イスの私を抱き起こしてくれた。すぐさまお礼を言うと、その内の1人の男性が転倒したはずみにできたおデコのすり傷に片手を向けながら、片言の英語で「手かざししてもいいですか?」と尋ねてきた。またまた思いもしなかった事態に戸惑いつつも、窮地を救ってもらった恩義を返そうと同意すると、彼は1分近く目を閉じ、こちらに向かって手かざしを続けた。彼自身が持っている“気”の力でおデコの痛みを和らげようとしたのかも知れないが、その間も心の中のケタケタ笑いが止まらず、相手に向かって吹き出すのを必死にこらえた。でも、手かざしを終えて、目を開けた男性は満面の笑顔を浮かべ「ありがとうございます、おかげで元気になりました」といった意味の英語を口にし、周りの仲間たちも嬉しそうにうなずいていた。どうやら、車イスもろとも転倒してもケタケタ笑っていた私の方に、何かしらの神秘的なエネルギーが宿っていると思ったのだろうか。彼らと別れた直後に、玲さんは「功さんのことをどこかの神様だと思っていたみたいだね」と笑い転げ、私も「それじゃ、お布施をもらえれば良かったね」とふざけた。事の真相は定かではないが、愛着のあるホテルでまたひとつ忘れられない思い出が増えた一期一会だった。
新宿の京王プラザホテルで仕事関係の所用があり、助手の玲さんと一緒に車イスで久しぶりに足を運ぶことになった。このホテルは、日本の中でもいち早くバリアフリーの推進に取り組んだホテルのひとつだろう。きっかけは、1988年に東京で開かれた第16回世界リハビリテーション会議の会場になったことだった。アジア地域で初めて開かれたこの会議には、93の国と地域から2,800人あまりの参加者が集まり、ホテルの大半を貸し切るかたちで行われた。その中には150人前後の車イス利用者はもとより、様々な障害のある人たちが含まれていた。合計では障害のある参加者は300人以上だったそうだが、それに合わせてホテルの随所に車イス対応のスロープやトイレを設置したり、車イス利用者が動きやすいように広いスペースを取り、入浴する際に必要な福祉機器を備えたユニバーサルルームを15室、新設するなどのかなり大がかりな改修工事が実地された。実はその計画段階で、私も会議を運営した関係者を通し、当事者としての意見や要望を求められ、手すりの位置、トイレ本体を置く角度といった細かな点にまで口を挟んだ。
世の中にバリアフリーの考え方が紹介されて間もなかった当時、私と相対したホテルの担当者は「こうやって松兼さんのような障害のある方から直にお話を伺うことで、今までは気づけなかった問題とか、考えもしなかったサービスといったものがどんどん見えてきて、私たちホテルスタッフ一人ひとりの世界が広がっていく気がします。その意味で今回、会議の会場に選んでいただいたことはとても光栄ですし、これからの大きな財産になります」と満面の笑顔で言った。もちろん多少はリップサービスの面もあっただろうが、そう言われて悪い気はせず、こちらも笑顔で「使いやすくしていただければ、車イスでのリピーターもどんどん増えていくはずです。少なくとも私は、その1人になると思います」と返した。そんなやりとりを近くで聞いていたのは、主催者から会議の運営業務の大半を依頼されていた企画会社の女性スタッフだった。何をかくそう、その女性スタッフは奇遇にも私の大学時代の2年後輩で、一時期、片思いをしたものの見事にフラレテしまった青森生まれの美人だった。こちらが大学を卒業して以来、およそ10年ぶりの再会だったが、彼女はその場の雰囲気に機転を利かせて「まさに今回の会議が開催されること自体が、障害のある人たちにとって心地よい環境を作り出す“社会的リハビリテーション”になっているんですね」と嬉しそうに相づちを打った。瞬間、大学時代と変わらない彼女の視点の鋭さが感じられ「やっぱり才色兼備だなぁ!」と感心し、その笑顔の眩しさに思わず、一瞬、彼女への恋心もリハビリテーションしたい衝動に駆られた(笑)。
そうした思い出があるだけに、京王プラザホテルは個人的にも愛着がある場所になっている。そのため、あの会議以降、障害のある友人、知人から「都内で泊まるには、どのホテルがいいですか?」と聞かれるたびに「料金は少し高めになってしまいますが、いちばん良いのは京王プラザだと思います」と応えていた。それを受けて、京王プラザに宿を取った人の感想も毎回好評で、なかには「施設面といい、スタッフのサービスといい、質がとても高く、自分の国のホテルにもぜひ見習ってほしいです」と言った韓国からの車イス利用者もいた。ただ、奨めた立場の私自身はここ10年近く、京王プラザでゆっくり時間を過ごした機会がなかったので「その後、どうなっているのかなぁ?」というかすかな不安もあった。そこで思い立ってホテルの最新のホームページを覗いてみると、リハビリテーション会議を契機として、点字、手話を使った目や耳に障害のある人たちへの対応も推し進められ、2002年3月にはこれまでの利用者からの声と、バリアフリー建築専門の設計事務所の助言をもとにデザインした新しいユニバーサルルーム10室を増設したとのこと。つまり、会議の際に設けられたものと合わせると、現在、25室のユニバーサルルームが用意されていることになる。ひとつのホテルでそれほどの数の配慮がなされているのは希で、障害のある団体客の受け入れも可能になっている。また「ハード面だけでなく、身体障がい者補助犬の受け入れを法施行前から積極的な推進や、従業員教育での[心のバリアフリー]のマインド醸成への取り組みなどのソフト面の充実化にも取り組んでいます」とも書かれていた。そこには法律、条例の類に定められたからやるのではなく、自分たちのホスピタリティを形にしようという自発的な姿勢が感じられた。それはきっと「あの会議をやったおかげで障害のある人たちへのホスピタリティが根づき、受け継がれ、進化しているためなんだろうなぁ」と思い、会議参加者の1人としてあらためて嬉しくなった。
さて、そんな思いを抱いてホテルを訪れた当日、所用を終えると「せっかくたまに来たのだから、ここで食べていこうか」と、ホテル内のレストラン街で普段はなかなかできないちょっとリッチな夕食をすることにした。偵察がてら、まずは本館2階のレストラン街を1周してみると、段差がなく、フラットでそのまま入れたり、ゆるやかなスロープが付いていたりと、和洋中を問わず、いずれの店も車イスでも難なく入店できる造りになっていた。レストラン街といっても、構造上の問題で車イスでは入れない店があり、選択肢が狭められるケースも少なくないので、それを見た玲さんは「ここはどこでも入れそうだから、好きな店を選べるよ」と声を弾ませた。いうまでもなく、広くて清潔な多目的トイレもあり、それだけでゆったりした気分で食事ができそうで、私も「やっぱりここは落ち着くね」とうなった。それから20分ほどかけて、他の階にあるレストランにも足を伸ばし、各店のメニューと雰囲気を吟味した。そこにもまた、普段の生活にはないゆったりとした時間が流れ、夕食の心地よいアペリチフ(食前酒)になった。
その結果、ふたたび本館2階に戻り、私が「ここにしようか」と言って、ゆるやかなスロープが付いた創作和食料理の店に入ることにした。玲さんが車イスを押してそのスロープを上りはじめると、男性スタッフが「いらっしゃいませ」と素早くこちらに近付き、前方にある取っ手を持って移動のサポートをしてくれた。そして車イスで陣取りやすい席に案内した後で「間もなく、係の者が参りますが、何かお困りのことがありましたら、遠慮なくお声をかけてください」とつけ加えた。その出迎えの対応にホームページに書かれていた「心のバリアフリー」に基づく洗練されたホスピタリティを直感し、玲さんの耳元で「やっぱり、ここに入って正解だね」と小さく笑った。すると玲さんは「対応はね…」とうなずいたものの「でも、肝心の料理は食べてみないとおいしいかどうか、わからないよ」とたしなめるように言った。確かにスタッフの接客が良く「ここは良い店だ」と胸を躍らせても、いざ口にした料理の味がイマイチだと、最初の期待の分だけ「なーんだ」という落胆が大きくなってしまう。私と行動を共にする中で、玲さんもその落胆を何度となく経験しているゆえの苦言だった。直後に「それはそうだね(店やスタッフの)雰囲気だけで早合点するのは悪い癖だね」と苦笑いで自己反省した私に、玲さんは「まあ、あれだけ対応がいいと、(料理の味も)期待しちゃうのもわかるよ」とも言った。
それからおよそ1ヵ月。改修工事を終え、リニューアルオープンした数日後にさっそく その会話の最中に着物姿の女性スタッフがオーダーを取りに来て、玲さんがあわてて「何にする?」と私に向かって話を変えた。料理のオーダーはまだ決まっていなかったので、2人してとりあえずいつものように生ビールを注文することに。それに応えて数分後に、お通しと一緒に生ビールを持ってきた女性スタッフが「よろしかったら、お使いください」とストローも差し出した。こちらがストローを使って生ビールを飲むことを予想しての配慮だったが、初めて訪れた店でスタッフの側で自発的にそうした気遣いを見せるのは珍しい。以前にも、ストローを使って生ビールを飲むお客さんに対応したことがあったからだろうか。それとも私の障害が重いため、ひと目で「ストローを使わなければ、上手く飲めないだろう」と思ったのだろうか。いずれにせよ、そこでもまたまた洗練されたホスピタリティを実感し、玲さんの苦言を気にしながらも一段と嬉しくなって「やっぱり、ここはいいなぁ」と思った。直後に、お通しを口にした玲さんが「上品で、とっても美味しいよ! これは、(これから頼む)料理も期待できそうだよ」と声を高くした。その言葉通り、それからオーダーした品はどれもアイデアと手間暇をかけた逸品で、私が「普段はなかなか食べられない味だね!」と歓声を上げると、今度は玲さんも「ホント、功さんの第一印象が当たっていたね」と笑顔でうなずいた。その場の美味しさはもとより、自分の店選びがハズレではなかったことに一安心すると、お酒も進み、同じ女性スタッフに赤ワインを追加オーダーした。 そこで彼女は赤ワインと一緒にすかさず新しいストローを持参し「どうぞ、こちらをお使いくださいませ」と言った。そのストローを見ると、ビールグラスより底の浅いワイングラスに合わせ、長さが短くカットされていた。とっさに短いストローが意図するところが伝わって、玲さんと感激しながら「ありがとうございます!」とお礼を返した。 そう、彼女は通常の長さのままだと、ストローがワイングラスの外に倒れて、飲みづらくなることを瞬時に察知し、自らの判断でそうした配慮をしてくれたのだろう。そこにはまさに「訪れるすべての人に、快適な時間を」というホテル全体の精神があり、それを実戦する彼女の“一流”が働いていた。
スタッフと料理、双方の“一流”にますますいい気持ちになった私たちはそれからも数回、アルコール類をおかわりし、かなりのほろ酔い気分で店を出た。その勢いで、2階の出入り口からJR新宿駅に向かったのだが、途中、ホテルから外の歩道に降りようとした時だった。ドアの付近で辺りを一見した限り、車イス用のスロープはすぐには見つからなかった。もちろん、そこまでの経緯でホテル側が以前にも増して物心両面のバリアフリーに力を入れていることを実感していたので「ちゃんと探せば、必ずどこかにある」とは思った。とはいえ、歩道に降りる段差は5センチほどでいつもはスロープを使わなくても難なくクリアしている高さだったこともあって、玲さんと話して「(スロープを探すのが)面倒くさいから、そのまま(段差を降りて)行っちゃおうよ」ということに。 ところが、2人ともほろ酔い気分で注意力が散漫になっていて、段差に差し掛かる瞬間に気づかず、玲さんが早足で歩いていたスピードのままにいきなり車イスの片方の前輪が歩道に落ちた。その瞬間、私たちはバランスを崩して、車イスもろとも地面に転倒してしまった。あわてて起き上がった玲さんが「大丈夫?」とかけて、車イスを起こそうとしたものの、力が足らず「1人ではダメだ」とほっぺたをふくらませた。それを見て、そこにあったはずの恐怖や痛みより、その場の緊急事態が無性におかしくなり、玲さん共々、ケタケタと笑い出した。すると、その声に近くにいた東南アジア系の顔をした外国人4、5人がこちらをふり向き、“Are you okay?”と駆け寄って、車イスの私を抱き起こしてくれた。すぐさまお礼を言うと、その内の1人の男性が転倒したはずみにできたおデコのすり傷に片手を向けながら、片言の英語で「手かざししてもいいですか?」と尋ねてきた。またまた思いもしなかった事態に戸惑いつつも、窮地を救ってもらった恩義を返そうと同意すると、彼は1分近く目を閉じ、こちらに向かって手かざしを続けた。彼自身が持っている“気”の力でおデコの痛みを和らげようとしたのかも知れないが、その間も心の中のケタケタ笑いが止まらず、相手に向かって吹き出すのを必死にこらえた。でも、手かざしを終えて、目を開けた男性は満面の笑顔を浮かべ「ありがとうございます、おかげで元気になりました」といった意味の英語を口にし、周りの仲間たちも嬉しそうにうなずいていた。どうやら、車イスもろとも転倒してもケタケタ笑っていた私の方に、何かしらの神秘的なエネルギーが宿っていると思ったのだろうか。彼らと別れた直後に、玲さんは「功さんのことをどこかの神様だと思っていたみたいだね」と笑い転げ、私も「それじゃ、お布施をもらえれば良かったね」とふざけた。事の真相は定かではないが、愛着のあるホテルでまたひとつ忘れられない思い出が増えた一期一会だった。
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