介護マガジン

ケアの達人日記

2010/01/05 Vol.87 点数表がくれた再会

“若気の至り”を見つけられて

助手の玲さんに、カラーボックスに仕舞っておいた学生時代の名簿やアルバム類を整理してもらっていた時のこと。数枚つづりになった紙を取り出した玲さんが「ねえ、これはなぁーに?」と声を高くした。それを一見すると、そこには何やら怪しげな数字が並ぶ表があって、私自身、とっさにはその意味が思い出せず「何なんだろうなぁ…」と首をひねった。ただもう少しよく見ると、数字の左側の縦軸には人の名字が並んでいたので、玲さんが「もしかしたら、功さんが大学時代にケアに入ってもらっていた人の日程表じゃないの?」と尋ねた。でも、養護学校の高等部を卒業し、初めて親元を離れて大学の寮生活をスタートさせた当時は障害の程度が今よりは軽かったこともあって、日程表を組むほど、秩序だったケア体勢はなかった。それを思い出して「日程表ではないと思うんだけど」と応えた直後に、表のいちばん下の欄に私の名前と並んで、学生生活での悪友であり、親友でもあったTACKとOSAの名前が書かれているのを見つけた。同時に視線を表の上に上げると、「婦問研には回覧厳禁」の但し書きがあった。瞬間、あまり人には言いたくない“若気の至り”の思い出がよみがえり「アッ、そうか」と吹き出しそうになった。それを見て「どうかしたの?」と首をかしげた玲さんにも「ウーン」と笑ってお茶を濁そうとしたものの、次の瞬間、彼女が但し書きの下にあった横軸の項目に気づいた。そして彼女はすぐさま「これ、まさか女子大生への点数表じゃないの!?」とあきれ顔で言った。見事な正解だった。それを見抜かれた恥ずかしさに、思わず照れ笑いして「ピンポン!」と返すと、玲さんも「あなたたち、今では考えられないぐらい、バカなことをやっていたんだね」と大笑いした。

アホな仲間たち

玲さんの言葉通り、曲がりなりにも“人権派”の自覚のもとにもの書きとして社会に発信を続ける今の私にとっては、女性の容姿や性格に点数をつけるなどという行為はあってはならないことである。とはいえ、玲さんが手にした表に記されていたのはまぎれもなく50人近くいた同級生の女子大生たちを点数化して、ランク付けしたものだった。もちろん、当時もそんな失礼な表を作っていることが公になれば、女性陣から大々的な批判を受けることは明らかだった。とりわけ、各種の女性問題に取り組んでいる婦人問題研究会のメンバーの目にとまれば、間違いなく大騒動になるとわかっていたので「婦問研には回覧厳禁」の但し書きをしていたのだ。そのいきさつを話すと、玲さんはまたまた「ホントに、アホな仲間たちだったんだね」と大笑い。つられてケタケタ笑い出した私も「そうなんだよ」と大きくうなずいた。細身でメガネをかけたTACKと、福島県出身で東北なまりがある小太りのOSAとは入学当初のクラスが同じで、入学式以来、キャンパスの中で顔を合わす機会が多かった。2人とも障害がある人間と接するのは初めてだったが、新歓コンパで私のストローで3人そろってビールを一気飲みして以来、すっかり意気投合して、こちらの言語障害まじりの言葉も難なく聞き取るようになった。

夕食を引き替えに

そうなると、TACKとOSAは私の学生生活をいつも身近で支えてくれる心強いサポーターにもなった。介助の日程表の類は作っていなかったとは言え、大学時代も衣食住のすべてに人の手を必要とする状況は変わらなかった。それだけに食事にせよ、入浴にせよ、1日ごとに顔を合わせた仲のいい同級生や先輩、後輩にこちらから声をかけて、手助けを頼んでいた。そんな毎日の中でTACKとOSAは、必然的に私を介助する機会がいちばん多く、その技術もあっという間にプロ級になっていった。とくに高校時代から吹奏楽をやっていたTACKとは、私が作詞した詞に彼が曲をつけて歌を作るようにもなり、なおさら一緒に時間を過ごすことが多くなった。学園祭で2人のオリジナル曲でのコンサートを開いた折には、その準備のために3ヵ月近く、ほぼ朝から晩まで顔をつきあわす日々が続き、周りの友だちからは冗談交じりに「あの2人、怪しい関係じゃないの!?」と噂されたほどだった。加えて、TACKには必修科目の単位を取るにも多大なる力を借りた。30年以上前の当時としては珍しく、私たちの大学では1年生の時にコンピュータを使っての情報処理の授業が必修になっていた。でも、それまでいた養護学校の高等部ではその手の勉強は全くやっていなかったので、講義を受けてもなかなか身にならなかった。その点、高校時代に理数系だったTACKはコンピュータにも強かったので、単位取得に必要な課題レポートを、何回かの夕食をおごることと引き替えに彼にすべて作成してもらった。

あっという間に飛び越えて

そうした当時の状況も話すと、玲さんは「TACKさんは、ホントに良い友だちだったんだね」とうなずいた後で、ふたたび女子大生への点数表に視線をやって「それにしても、ヘンなことばかり、やっていたんだね」と吹き出した。その直後に「ちょっと一度、TACKさんに会ってみたいよ」とつづけた玲さん。考えてみると、年賀状でのやりとりはあったものの、私自身もTACKが結婚して以来、15年以上、彼と直接、会っていなかった。ちなみに彼が結婚した相手の女性は、大学の吹奏楽サークルでTACKと同じオーボエを担当し、問題の点数表にも乗っていた同じクラスのアサコさんだった。しかも彼女の生年月日は私と全く同じで、毎年、誕生日が来るたびに「TACK夫婦はどうしているかなぁ…」と思いを巡らせるのが常である。それはきっと、TACKの側にも当てはまることだと思う。玲さんにそんな関係も話すと「やっぱり、もともと切っても切れない縁があったんだね」と感心し「なおさら会ってみたくなったから、早くTACKさんに連絡してみてよ」と言った。これまでは長らく、お互いの忙しさにかまけて、なかなか会う機会を作れなかったが、その時、こちらもとっさに「久しぶりに会いたいなぁ」と思い、早速、埼玉県内に住むTACKに「オモシロイもの、発見しました」のタイトルでメールを送った。そこではTACKの興味をそそろうと、あえて点数表のことを「婦人問題研究会には回覧厳禁と書かれた資料」とだけ説明した。すると私の思惑通り、すぐにTACKから「オモシロイものって、すごく興味がそそられますね!具体的にはどんな内容ですか?ぜひ見てみたいです」という返信があった。その一行に、大学時代と変わらぬ長調発信のノリの良さを感じ、会っていなかった時間をあっという間に飛び越えた気がして、何だか無性に嬉しくなった。

様子を見て

それから何度かメールをやりとりし、点数表の実態を知ったTACKも「確かに今やったら、間違いなくセクハラで訴えられちゃいますよ」と書いてきた。TACKは大学を卒業後に7、8年勤めた統計関係の会社を辞めた後、都内の大学の大学院に入学して環境問題を研究し、2001年から大学教授として教壇に立っている。それを考えると、私以上に“若気の至り”の点数表を人には知られたくない立場にあるのかもしれない。それでも実物の点数表への興味はどうにも抑えられないらしく、TACKは大学での仕事が早く終わる週末の夕方にわが家へ来てくれることになった。ただ、私がわが家で一段落した後で、近くにある馴染みのダイニングバーへ行こうと提案すると、TACKは同意したものの「5年前にちょっと病気をして身体をこわして以来、アルコールは一切飲まなくなったので、酒はつき合えないけれど…」という一文があった。大学時代に戻って愉快に酒を酌み交わそうと考えていただけに、初めて知ったその事実に正直、少なからず肩を落とした。と同時に、文面には具体的な病名や症状については何も記されていなかったため「どんな病気だったんだろう。今はもう、大丈夫なんだろうか?」と心配にもなった。さらに私の父が若い頃にそうであったように、身の周りでうつ病などの心の病を抱えている人がかなりの数いることを考えると、反射的に「もしかしたら、TACKの病気も精神的なものなのかなぁ?」と思った。とはいえ、それをお互いの顔が見えないメールで確かめるのはTACKに対して失礼に思え、直接、会った時に様子を見て、尋ねてみることにした。

顔を見た瞬間に

わが家での再会当日、TACKは自宅マンションから歩いて20分ほどの所にある私の実家に立ち寄って「久しぶりにお母さんにも挨拶したい」ということになった。30分ほどの実家での滞在の後、夕方の5時少し前に母の道案内でわが家に来たTACKは私の顔を見るや否や、かん高い声で「オー、久しぶり!元気だったか?思ったよりは、(頭の)ハゲ具合は進んでいないなぁ」と、こちらの頭のてっぺんをポーンと叩いた。その気さくな口調も態度も大学時代のままで、母が「TACK君、ぜんぜん変わっていないでしょ!?」と水を向けた。その言葉に、あらためてTACKと視線を合わせた瞬間「あれ?」と思い、メールを読んだ時のあの心配が的中しているような気がした。確かに細身の体型と顔立ちは変わっていなかったが、視線を中心とする表情には心の病の影響を思わせる“憂い”が少なからず感じられたのだ。それは大学時代のTACKにはなかったものであると同時に、前述した心の病を抱える知人たちが見せる表情によく似ていた。加えて、話をする合間に時々、かすかな呂律の乱れを感じた。「それもまた、心の病の影響によるものなのだろうか?」。その場でとっさにそう思った私はTACKがトイレに立った時、思わず玲さんの耳元で「彼、何かうつっぽい顔をしているね」とささやいた。すると、自身にもうつ病を患っている友人がいる玲さんは「実は私も、顔を見た瞬間にそう思ったの」と小声で相づちを打った。

何でも言い合える雰囲気

それでもトイレから戻ってきたTACKは、声をおどけさせて「問題のアレ、見せてよ」と笑った。その声に玲さんが用意していた女子大生への点数表を差し出すと、TACKがそこに書かれていた筆跡を見て「確かにこれはボクの字だよ!」と大はしゃぎ。直後に大学時代、私が片思いしていた同級生の名前を挙げ、その彼女の欄に視線をやって「やっぱり彼女はどの項目も満点だよ」と、こちらをからかうように言った。それを聞いて、玲さんがすかさず同級生全員の顔写真が載っている卒業アルバムを開き「その人、どの人なんですか?」とTACKに尋ねた。同様にTACKの奥さんのアサコさんをはじめ、女性の同級生何人かの点数と顔写真を照らし合わせた後で、私が「これ、コピーして持って帰る?」と水を向けると、TACKは「とんでもないよ。アサコはもちろん、こんなものが人に見つかったら、大問題になるからここで大切に保管して置いてくれよ」。言うまでもなく、その場には笑いがあふれ、大学時代に戻ったように何でも思ったことを言い合える雰囲気がすっかり甦っていた。それに乗じて、私は自分自身が加齢に伴って障害の程度が重くなり、前にも増して人の手が必要になった現状を話した。すると、TACKは「それは仕方ないよ。ボクだって、やっぱり年とともにあちらこちらにボロが出てきているからね」とうなずいた。その話の流れで、こちらが「そういえば、5年前の病気ってどんな病気だったの?」と尋ねると、TACKは一瞬、考え込むように言葉を呑んでうつむいた。でも、すぐに顔をあげると「実はうつ状態になって、それ以来、ずっと薬を飲みつづけているんだ。だから、酒もいっさい飲まなくなって」と吐露した。そう聞いて、私が「うちのオヤジもそうだったし、周りの友だちの中にもうつ病の人が結構いるんだよね」というと、TACKは「そうなんだ…」と小さく微笑んだ。それは「うつ病になったのは自分だけではない」という安堵感の表れだったのかもしれない。

久しぶりの乾杯

それから関を切ったように病気について話し出したTACKによると「1年位前までは、こうやって人と笑って話すこともできなかったんだ。それを考えるとと、ずいぶん良くなってきたと思うよ」とのこと。その話に、私も「それは良かった」とホッとした気分になった。そして場所を馴染みのダイニングバーに移すと、TACKはウーロン茶で、私はストロー入りの生ビールで久しぶりの乾杯をした。自分だけが酒を飲むことに申し訳なさも感じたが、反面、TACKに会わせて酒を控えるほうが彼には余計な心の負担になるのではと思い、いつものペースで1杯目のグラスを飲み干した。それを見たTACKは、満面の笑みを浮かべて「相変わらず、良い飲みっぷりだなぁ!オイラは飲めないけど、その分もどんどん飲んでくれよ」と2杯目のグラスに自らでストローを入れて、私の口元に差し出した。TACK自身、酒を一滴も飲んでいないにも関わらず、こちらのほろ酔いが伝染したごとく、時間とともに笑い声がどんどんボリュームアップしていった。その場の楽しさは、何があっても切っても切れない私たちの縁を再確認した時間でもあった。