介護マガジン

ソーシャルワーカー 金沢次郎の「心のよろず屋 奮闘記」

2010/02/25 痛み

Aさんは膝関節の痛みがあり、歩行がスムーズにできない。訪問すると、毎回痛みについての訴えがある。病院にも通院しているのだが、痛みは一向に良くならない。そのためAさんはいつもイライラして自分の身体のことを嘆いていた。自宅からほとんど外出することのないAさんを近所の方が、お茶のみ会に誘ってくれた。Aさんは楽しみに出かけて行った。後で感想を聞いてみたところ、膝の痛みが強くなってまったく楽しめなかったということだった。他の人はAさんよりもっと元気だったので、ついつい他の人と比べてしまい、落ち込んでしまったようだった。

ある日Aさんの自宅に行くと、Aさんが台所から玄関まで出てきてくれた。その時の動作はとても機敏だった。その後も中腰になったりと、関節痛があるとは思えないような動きだった。今日は調子が良いのかなと思っていたら、やはりその後は痛くて「動けない」と話があった。他のスタッフがAさんに会った時も、機敏に動いていたということが度々あったと後で話を聞いた。しかしその時も「痛くて動けない」とAさんは盛んに訴えており、スタッフは我慢して動いているのかと思ったようだった。

私たちはよく「痛み」の訴えを聞く。しかしこの「痛み」がどの程度の「痛み」なのかを客観的に計ることはできない。Aさんも痛くないのに「痛い」と言っているわけではなく、本当に「痛い」のだと思う。そしてその痛みは「動けないほど痛い」と言う。しかし実際にはかなり動けている。我慢して動いている所もあるのかもしれないが、Aさんが訴えている「痛み」と実際の「痛み」は必ずしもイコールではないのではないかと思うこともある。しかし「痛み」はその人が「痛い」と感じていれば、それは確かに「痛い」のだと思う。「痛み」には色々な要素があって、精神的な状態などにも影響されるのだと聞いたことがある。Aさんの痛みは単なる関節の痛みだけではなく、他にもその「痛み」を強化してしまう何かがあるのかもしれない。

「痛み」がある時は血圧が上がるので、血圧を測れば本当に痛いのかどうかわかるという話を聞いたことがあるが、必ずしもそれだけで本当に「痛み」が分かるものではないと思う。本人が訴えている「痛み」を否定しても、結局なにも解決にならない。「痛み」がないはずなのに、「痛み」を訴えているのであれば、なぜそうするのかを考える必要がある。「痛み」を通じて何か別のことを訴えているのかもしれない。Aさんがなぜ「痛み」を訴えるのか、まだよくわからない。Aさんの「痛み」を否定したくなってしまうことも正直ある。しかしその「痛み」の奥にあるものをこれから考えていきたい。