介護マガジン

ソーシャルワーカー 金沢次郎の「心のよろず屋 奮闘記」

2010/03/04 勉強会にて

先日とある勉強会に参加した。勉強会にはソーシャルワーカーやケアマネジャー、行政職員など相談の仕事を生業とする人が大勢いた。その日のテーマは「話を聞く」ということだった。講師はカウンセリングの先生で、話はわかりやすくてとても面白かった。勉強会では2人1組になって、実際の面接場面を想定した練習を行った。どれも興味深い話だったのだが、その中で特に印象に残った話があった。それは「相談に来る人は、我々に気を使っている」ということだった。

例えば医師の診察を受ける時、自分のどこかで「この先生に嫌われたくない」「あまりしつこいことを言うと嫌われるから、やめておこう」と思うことがある。それと同じことが、私たちのような仕事の場でも起きているということだった。そして相手が私たちの話を否定したりしないので「相手は納得している」「問題はない」と勘違いしている。その裏には「話をしてもわかってもらえないから無駄」「無駄であるなら、あまり難しいことは言わないでおこう」と相談に来た人から気を使われているのだという。特に表だって私たちの対応に対して、不満を聞くことがなければ、おおむね自分の面接は成功していると考える。しかし、本当に対応に問題がないかと言うと“必ずしもそうではない”ということを聞いて我に返った。

私自身、面接の技術が高いとは思わないのだが、これまであまり相談に来られた方から対応についての不満を言われたことがない。だから内心自分の対応はまぁまぁ良いものができており、相手も話したいことを話せているのではないかと思っていた。しかし、相談に来られている方に気を使ってもらっているために、表面上は何事もなく面接が進行していることが多いのだということを今回の勉強会では気づかされた。確かに、私自身もこれまで仕事でもプライベートでも“自分のことを本当にわかってもらえた”、“ちゃんと話ができた”と思えたことはそうそうない。例えば上司と話をする時も、言いたいことはいっぱいあっても、おそらくその中の半分も話をすることができていない。どこかで「話をしても無駄」と思っている。よく考えれば、すぐにわかるような話なのだが、改めて講師から話を聞くまで「相手が気を使っている」ということをあまり考えなかった。

“相手は満足して帰っている”というは私の思い上がりだったのかもしれない。相談の仕事を始めて10年目になる。1年目は確かに、毎回面接の後は自分の中で反省会を行っていたのだが、最近はあまりそういったことはしない。
もう一度初心に戻って「話を聞く」ということに取り組んでいきたいと思う。