介護マガジン

Healthink徒然

2010/07/15 Vol.14 生き抜いて25年

▼心機能40%

唐突な話ですが、私の心臓は通常人のそれと比較して約40%しか機能していません。
このことは25年前にアイソトープの検査を受けて以来、ずっと担当医師から告げられている事実です。
40%の機能では、日常的な生活は可能ですが、走ったり、重い荷物を持ち上げたり運んだりすることは厳禁です。要するに無精を決め込まなければいけない、誠に都合の良い生活条件です。
そのために家族や周りの人に、いかに気を使わせたり、心配を掛けさせたりしているか、考えると申し訳なく気が滅入りそうです。
これからはさらに迷惑をかけることになるでしょう。

▼高齢社会はハンディキャップ社会

こうしたハンディキャップを私は若い?時代から体験していましたが、しかし高齢者にはなれば、程度の差があれ共通のものとなります。
言い方を変えれば、老人になると言うことは、相応のハンディキャップを持って生きていくこととも言えます。
近年、医療費、介護費などの高騰や財政の関係で、社会からは高齢者はやっかいものとの風潮があり、病気となれば、それを苦に自死する方も増加しています。
痛ましいことです。

▼謗られても生きる

しかし、徒然草の時代から「人間の儀式、いずれのことか去り難からぬ。」です。高齢であろうとも「一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん」で、高齢者は常人と同じで特別な人種ではありません。
達人は人生の暮れを迎えて「吾が生既に蹉陀(さだ)たり。諸縁を放下すべき時なり」と悟られるのかもしれません。
しかし、我ら凡人は、やっかいものと謗られようと病と向き合い、義理や人情を欠いても、自身を責めないで細事に関わらずに図太く生きていくことが気遣いをくださる人々へのマナーでしょう。
医師がいる、ナースがいる、家族がいる、お見舞いの人がいる。まさに病院はよき心が参加して生まれた社会装置=ホスピタル。そしてこうしたよき心が生きるのは、患者の生き抜く意志こそ大事ではないでしょうか?とりあえず世間様の手前「生かされている」と語る私ですが、腹の底では「生き抜く」ほぞを決めているのです。