○実際に働いている姿を見てもらい、障害者雇用を促進

「一般的な障害者就労支援施設だけでは、DMの封入や清掃など、障害者の就労範囲を狭めてしまう。障害者が、人と接する仕事をすることで喜びを感じられる施設を整備することは、行政として当然のこと。そして、“障害者が働いている姿”を日常のものにしないといけない」と語る。
千代田区の障害者就労支援施設は、平成14年に策定された『千代田区第三次長期総合計画』において、その整備が主要施策として位置付けられ、設置場所の検討が進められてきました。その後、国の九段第3合同庁舎との合築による区役所庁舎整備が決定、障害者就労支援施設についても新庁舎内に併設することになったのです。
障害者就労支援施設として、大きな特徴は、可能な限りオープンな環境としたことです。区役所と同一の空間に入居するメリットを最大限に活かして、作業種目や支援方法を工夫。障害者が働いている場を積極的に公開しています。
一般的に行政は、助成金や相談会などの制度を整備し、事業主を中心に障害者の雇用を訴えますが、「障害者も働ける」事実を実際に見せているところはほとんどありません。事業主にとって、障害者の雇用は、まだまだその方の人生そして自社の今後を左右するような大きな決断です。従って、障害者が働いている姿に普段から触れていないと、果たして自社が障害者が働くのにふさわしい環境なのかどうかの判断ができません。助成金等の制度だけでは実情が伝わらず、不安が先行して障害者の雇用に弾みがつきにくくなってしまいます。これでは、いくら雇用促進施策を積極的に展開しても、雇用効果の向上につながっていきません。
そこで、事業主はもちろん区民を対象に、障害者が働いている姿にじかに触れてもらおうと、千代田区が導入したのが、このパン工房「さくらベーカリー」です。企画にあたって区議会議員や生活福祉課のスタッフは、障害者の自立と社会参加を支援しているヤマト福祉財団とヤマト運輸を中心に設立された本格的パンショップ、「スワンベーカリー」の視察なども行いながら、検討を重ねてきました。
○ パンづくりと障害者就労支援の両立にこだわる
新庁舎3階にある障害者就労支援施設
「ジョブ・サポートプラザ・ちよだ」
障害のある方と共に働くことを通して自立支援を行い、地域の特性を活かしつつ、昼間は働いて暮らす、という当たり前の暮らしの実現を目指します。
◆利用定員 35名
・就労移行支援事業:10名
就職を希望する方たちに向けて、作業や実習を行い、一般就労に必要な知識能力を高めて、適正にあった職場に就職・定着を図ることを目的にした事業。
・就労継続支援事業B型:25名
事業所内外において、雇用契約を締結しない就労や作業活動機会の提供を行い、働くことを通して豊かな生活になることを目的とした事業。
取材当日も「企業からの部品袋詰め作業」や「合同庁舎内の行政からの請負作業」等を行っていました。右下の写真は食堂ですが、この場所を使って料理の講習を受講することもあるそうです。
1階の「さくらベーカリー」、3階の「ジョブ・サポート・プラザ ちよだ」とも、千代田区の指定管理者「社会福祉法人 緑の風」が運営しています。障害者就労支援施設を運営できるノウハウを持っている法人は、多いとは言えないまでも、それなりには存在します。パンづくりのノウハウを持っている法人も同様です。しかし、この両方を持ち合わせている法人には、なかなか出会えるものではありません。パン工房と障害者就労支援施設の両立は難しいのです。
実際、パン工房の運営事業者募集では、多くの法人から応募があったものの、これら2つの施設を両立できると考えられる法人は見当たらず、改めて募集を行いました。というのも、千代田区の石川区長は、「障害者、福祉施設、そして施設を運営する法人。この3つがきっちり結びついていることが重要」と考えています。「2つの施設の運営を両立できる法人が見当たらないのは、双方を共通運営できることが最も重要であること示している」と、あくまで両立にこだわったのです。
「社会福祉法人 緑の風」は、山梨県北杜市で、鉢花園芸/北杜の小麦の生産・製粉/パンづくりを行っている知的障害者就労支援事業所を運営しています。関連会社である千代田区の(株)緑風舎と共に福祉活動を展開していることから、パンづくりと福祉活動両方のノウハウが活かせると応募しました。法人としての運営面やパンの授産事業が千代田区に認められ、受託する運びとなったのです。障害者就労支援施設の運営とパンづくり双方のノウハウを持つ事業者の登場によって、「さくらベーカリー」がオープンできたわけです。
○1日平均400名の来店で賑わう繁盛店に
「さくらベーカリー」は、合同庁舎1階ロビー中央に位置する「ベーカリーショップ」と、同階奧の「パン工房」からなります。原料には、“緑の風”が自家栽培・製粉した北杜の小麦粉を使い、富士山の溶岩で造った「溶岩窯」で、毎日約60種類のパンを焼きます。全粒粉(通常の白い小麦粉に使う胚乳以外に、胚芽や小麦表皮も含めて丸ごと粉にしたもので栄養価も高い)の「溶岩パン」や、千代田区の製餡会社に“あん”を特別に作ってもらっているという「こだわりの小倉あんぱん」などがとても好評で、1日に約400名が来店、売上は約25万円に達しています。お昼のピーク時には、ドリンクサービスを中止せざるを得ないほどの盛況ぶりです。
―――――――――パン生地をつくり、成形し、焼きの行程へ―――――――――――

パンは、富士山の溶岩で造った「溶岩窯」で焼かれます

また、新たにパンが焼き上がったようです

最終工程です。調理パンをつくっています。

正面がガラス張りになっていますが、将来はこの場所でも販売をしようと考えています
新庁舎1階ロビー中央のベーカリーショップ

ベーカリーの入り口。
手づくりのPOPが目を引きます

棚に陳列されたパン。
どれもできたてでおいしそう

1日にワゴンが工房とショップの間を何往復もします。写真の後ろは、合同庁舎のインフォメーションカウンターです。ちょっと不思議な光景です

ボリュームたっぷりの
「粗挽きフランク」

千代田区の某協力会社に“あん”を特別に作ってもらっているという「こだわりの小倉あんぱん」

全粒粉でつくっている「溶岩パン」
(写真はクルミ入り)
ランチタイムには、お店に入りきれないくらいの行列をつくります
○2名の知的障害者も生産・接客に大活躍

「ジョブ・サポート・プラザ ちよだ」から実習に来ていたスタッフ。お客さまが使ったトングを丁寧に洗っています
これら大勢のお客さまに、およそ10名のスタッフがパンを焼いて販売しています。パンを焼く午前早めの時間は工房のスタッフを厚めに、そして、ランチ時はショップスタッフを厚めに、ランチ時のピークが過ぎたら適宜交代でお昼の休憩というように、時間帯や状況によりフレキシブルに配置しています。
取材時に、知的障害のある方が2名勤務していました。その1名は、さくらベーカリーでの就労を目指す障害のある青年で、もう1名は3階の障害者就労支援施設「ジョブ・サポート・プラザ ちよだ」から実習に来ていました。
知的障害があると言っても、その仕事は、パン工房内に留まらず、工房からショップへのパンの移動や、ショップ横のゴミ箱をはじめとするショップ内外の清掃、お客さまがご利用になったトングの洗浄や整理、購入されたパンをトレイから袋に詰めたり、コーヒーをはじめとするドリンクサービスなど、お客さまと直接応対する機会も少なくありません。

知的障害のあるスタッフも、他のスタッフと同様に、お客さまと接する業務を行っています
時には、コミュニケーションをうまくとれずに、お客さまを怒らせてしまったこともあるそうです。「あるお客さまが、知的障害者のスタッフに注文しようと、何度か声を掛けられました。でも、なかなか返事をしてくれないものだから、“これはけしからん”と、所管の生活福祉課に苦情を寄せられたのです。
スタッフの中に知的障害のある人がいると事前に分かっていただけていれば、怒られることもなかったと思うのですが、逆に説明がなければ普通のスタッフとまったく変わりがなかったことに、とても喜びを感じました」(ジョブ・サポート・プラザ ちよだ & さくらベーカリー センター長 鈴木正明氏)。
「これからも、同じような事態が起きるかもしれませんが、場面を小さくしてあげれば大丈夫です」と言います。知的障害者は、お客さまの行例の長さ、自分の持ち場、まわりのスタッフの進捗状況など、大きな場面の全体に気を配ることは苦手でも、そのスタッフが持て余さない範囲、つまり小さな場面では、丁寧な対応ができるからだそうです。
● 実習中の1人「武田政勝さん」にお話しを伺いました
武田さんは、横浜市の障害者授産施設では、パン焼き窯の管理を担当していました。さくらベーカリーに来てからは、コーヒーを入れたり、ご購入いただいたパンを袋に詰めたりと、お客さまと接する仕事が主になっています。10時から16時の勤務時間に、およそ100杯のコーヒーを、注文いただいてからその場で入れています。パンの袋詰めと重なると、手を休める暇もありません。「お客さまがみんな、“どうも”とか“ありがとう”と言ってくれるのがうれしい」と話してくれました。「パンの香りが好きなので工房で働くのは楽しいけど、今は、ショップのほうが好きだ」そうです。
お客さまの反応が見られるからかな?と思っていたら、「だって涼しいもん」と。その後、「工房は暑くて脱水になっちゃうし・・・」から始まり、パンづくりの難しさや厳しさをいろいろとお話ししてくださいました。
インタビューがはじまったころは、緊張もあって、声がなかなか出にくい様子でしたが、数分ですぐに雰囲気に馴染み、気が付くと普通に会話をしていました。ショップで実際にお客さまの応対ができていることに納得です。
こんな武田さんの趣味は、電車を見ること。今は成田エクスプレスに夢中で、「あの赤とグレーのラインが格好良いから」だそうです。また、鉄道趣味から好きなドラマも「特急田中3号」で、週末にそのビデオを鑑賞するのを楽しみにしているそうです。筆者とは出演者の栗原千明さんの話で盛り上がりました。
○将来はスタッフの半数近くを障害者に
現在、知的障害者のスタッフは2名だけですが、将来は4~5名を障害者で構成する計画です。パン工房には、焼き菓子の型抜きなど、障害のレベルに対応してさまざまな業務が用意されています。パンづくり・パン販売を熟知していれば、スタッフの半数近くを障害者にしても、工房・ショップとも十分に機能するということです。ただし、パンづくりは非常に奧が深いものです。現在のスタッフは大半がパンづくりの経験者ですが、皆が皆、大ベテランという訳ではありません。時には技術指導が必要なこともあります。
こうしたスタッフのスキルアップを担っているのが、横浜を中心とする若手パン職人のグループです。業務用パン焼き機メーカーである (株)櫛澤電機製作所の代表・澤畠光弘さんを中心とするネットワークで、技術面を中心に惜しみない協力を行っています。
○新メニュー開発にも積極的
千代田区の千鳥ヶ淵は桜の名所。区の花も桜です。それにちなんで、パン以外に焼き菓子として「さくらサブレ」を取り扱っているのですが、これが好評を博しています。一度に10枚、20枚とまとめて購入されるのが普通の風景となっています。新庁舎になったことで視察に訪れる方が増加。また、「修学旅行をはじめ、社会勉強で見学に来る方が多い」(千代田区生活福祉課・清水圭介氏)こともあり、来庁時のお土産として人気のようです。
新庁舎への多くの来場を受けて、さくらベーカリーでは、おいしいと評判の「こだわりの小倉あんぱん」と名物のさくらをコラボレートした「さくらあんパン」の販売を計画しています。桜の花の塩漬けが入っている他に、あん自体にも桜の香りが付いた、和のテイストを高めたあんパンです。また、ロビーのフリースペースでは、ランチタイムにパンを頬張りながら談笑するビジネスマンやOLの姿が定着していることから、「ワンコインランチボックス」の構想もあります。
今回新庁舎として高層ビルになった上、もともと皇居、武道館、千鳥ヶ淵のような名所が近い立地で、ちょっとした観光スポットになっています。「パンショップは、誰でも見ることができます。他の自治体からの見学も、経過・結果を知りたいということもありますから、しばらく続くことになるのでは」(同)と見ています。
ランチタイムのロビー。「さくらベーカリー」のパンを食べている人が多い
○おいしいから売れる、当たり前のお店として

知的障害を持つスタッフも、他のスタッフと同様に、お客さまと接する業務を行っています
障害者の就労支援としての実習の場、そして障害者が働いている姿を積極的に来庁者へアピールすることが目的のさくらベーカリーですが、障害者が頑張ってパンを作っているから買ってあげるというようなコミュニケーションには期待していません。「“おいしいから買う”というパンでなければ、スタッフも“買ってもらいたい”と思いません。だから“障害者のパン屋”というイメージも払拭していきたいのです」(鈴木正明氏)。障害者も健常者も、モチベーションが無ければ仕事はやっていけません。多くのお客さまにご購入いただくのみならず、スタッフの仕事へ対する意欲を高め、維持するという意味でも、お店は“本物”である必要があるのです。
知的障害を持つスタッフも、他のスタッフと同様に、お客さまと接する業務を行っています
議会をはじめ千代田区、区民の期待の大きさを感じているというセンター長の鈴木正明氏は、「収益を確保しながら、障害者就労支援効果を高めるのは簡単ではありません。『さくらベーカリー』への実習生に『ジョブ・サポート・プラザ ちよだ』にはないパンづくりの機会を提供し、場合によっては、さくらベーカリーや他の企業への雇用成果に結びつけていきます」と力強く語っていました。
| 取材日 |
2007年6月11日(月) 10:00~12:00 |
| 取材先 |
さくらベーカリー |
| 住所 |
東京都千代田区九段南1-2-1 千代田区役所九段第3合同庁舎1階 |
| 営業日・営業時間 |
平日(8:00~19:00)・土曜日(11:00~14:00) |