介護マガジン
ケアの達人日記
Vol.65 復帰をねがって
去年のゴールデンウイーク明けの夕方6時過ぎのことだった。パソコンに向かって仕事をしていると、6時半からケアに入る予定だったK君からこんなメールが届いた。
「今朝から38度以上の熱が出てしまい、学校に来ても体調がどうしても戻らないので、申し訳ありませんが、今日のケアはお休みさせてもらいたいのですが……」。
それを読んだとたん、思わず文面が映ったディスプレイに向かって「だったら、どうしてもっと早くに知らせてくれないんだよ!」と叫んだ。K君は介護の専門職を目指して福祉系の大学に通う3年生で、そのメールも大学の講義の終了後に打ってきたものだった。
風邪を引きやすい体質のK君はそれまでにもケア当日に発熱したり、体調を壊したことが何度かあったが、そのたびに「これぐらいなら、大丈夫ですから」と言って、お休みすることはなかった。それを思い出すと、その日のK君の具合が「ホントによほど悪いんだろうなぁ」と察しがついた。それにしてもである。代わりのケア者を探そうにも、20分足らず前の連絡ではあまりに時間がなさ過ぎるため、ディスプレイに向かってふたたび「どうしてなんだよ!?」と叫び声を上げた。
その時だった。不幸中の幸いで、K君がケアに入る時間に合わせて外出する予定だった助手の玲さんがまだ隣の部屋にいる気配がした。あわてて彼女の名前を呼んで、私の仕事部屋に来てもらい、K君からのメールに目を通してもらうと、玲さんもこちらの動揺に相づちを打つように「こんな時間に、いきなり『休む』って言われても困っちゃうよね。朝から熱が出ていたんなら、その時点で連絡してくれれば良かったのに。それにもし、イサオさんがパソコンの前から離れていたら、私が帰ってくる深夜まで待ちぼうけを食っていたかも知れないしね」。
玲さんの言葉に「そうだね」とうなずきながら、そんな最悪の事態を想像してなおさら背筋が寒くなった。そう、ディスプレイの前の座椅子に座ってパソコンの電源を入れるにも人の手助けがいるので、もし私がいったんパソコンから離れてしまえば、必要に迫られても自力ではパソコンを再起動できない。そうなると必然、玲さんが言ったとおり、K君からのメールも読めなかったし、何時間も待ちぼうけを食らっても外出中の玲さんにSOSのメールさえ送れなかった。いわんや電話での連絡は難しく、尿意と空腹に襲われて途方に暮れるしかなかっただろう。
K君は恐らく、そこまでの最悪の事態になる危険性があったとは思っていなかったのかもしれない。介護の専門職を目指す彼であればこそ、それをちゃんと伝え、ケア者としての責任感を再認識してもらう必要があると感じた。大学生時代、いろいろなバイトをしていた玲さんも「ケア以外のバイトだって、こんなに間近になってからの休みの連絡は許されないよ」と言った。そこで最悪の事態の詳細を説明した上で、K君にこんなメールを送り返した。「もし玲さんがすでに出かけてしまっていたら、今夜ボクは飢え死に状態になっていました。今度から同じような状況になったら、もっと早めに連絡してください。もしまた、今夜のようにケアを予定していた当日の場合、パソコンでメールを見られない可能性もあるので、玲さんの携帯にも電話で連絡するようにしてください」。
それを読んだK君からは、すぐさま丁重なお詫びの返信が届いた。1週間後、久しぶりにケアに入った折も「このあいだは本当に申し訳ありませんでした。ケア者として、絶対にやってはいけないことですよね。以後、肝に銘じるようにします」と頭を下げた。その後で「じつは……」と、急に休むようになった理由を話し出した。聞けば、各地の大学ではしかが流行り、休校騒ぎが相次いでいた当時、K君の大学でも前日に学生の一人がはしかにかかって入院していたという。発熱した日の午後に校内でそれを初めて知ったK君は、「自分もはしかでは?」と心配になり、そうであれば「ケアに行ったら、松兼さんにも伝染させてしまうことになる」と思ったそうだ。一方で「当日のケアにはどうしても行かなければ……」という責任感もあり、講義を受けながら両者の気持ちの間で葛藤しているうちに「あんな時間になっちゃったんです。でも、判断するのがだいぶ遅すぎましたよね」。その言葉に彼なりの精一杯の反省を感じた私も、「あの日は何とか飢え死に状態にはならずに済んだから、もう気にすることはないけど、あとで(ケアを代わってくれた)玲さんにも謝っておいてね」と小さく笑った。
それからしばらくして、K君は約1カ月間、大学の実習で重度の障害のある人たちのための療育施設に通った。私も以前に知人を訪ねて何度かその施設に足を運んだことがあるが、そこで暮らす全員が衣食住のすべてに人の手が必要であることはもとより、言葉でのやりとりが難しかったり、車イスにも座れずに寝たきりに近い状態の人たちも少なくない。それだけに、彼らのいのちは100パーセント、日々のケアに当たるスタッフたちの手に委ねられているといっても過言ではないかもしれない。
そんな環境での実習が終わって1カ月ほどが経ったころ、夕食を食べる傍らで、K君と二人でテレビのニュース番組を見ていた。すると、画面では介護現場で働く人たちが待遇の悪さゆえに経済的困窮に陥っているワーキングプアに関する特集が流された。10分前後のその特集の直後に、折しも画面はアメリカの脚本家協会が待遇改善をもとめて起こしたストライキの様子を伝える短いニュースに切り替わった。それを目にしたK君がやおら「でも介護の現場じゃ、どんなに待遇が悪くてもストライキなんてできませんよ。もしやったら即、そこで暮らしている利用者たちは生きていけなくなってしまいますからね」。その言葉は、介護する側介護される側双方が置かれている厳しい現実を端的に言い当てていると思った。きっと療養施設で体験した利用者との関係で、ケアする自分の手がケアされる側の人間としての存在そのものを支えていることを実感し、より切実な責任感を抱くようになったのではないか。その表れが、先の発言だったのだろう。
実際、K君は実習の以前には私のケアに入る時間に何の連絡もないまま、所用や交通渋滞などで30分以上遅刻したことが何度かあったが、最近では5分前後の遅刻でも必ず、メールで知らせてくるようになっていた。そしてあわてて私の部屋に入ってくるや否や、息を切らせて「送れてすみません! トイレとか、大丈夫でしたか?」と声をかけてくる。そんな言動に私自身、K君の成長ぶりをあらためて実感して、いきなりメールで休みを伝えてきた頃に比べて「ずいぶん変わったね」というと、「松兼さんにそういってもらえると、うれしいです。やっぱり実習先で、いろいろ考えさせられましたから」と照れ笑いした。
その数週間後、ケア予定日の前日にK君から「体調が悪いので、すみませんが、明日のケアをN君に代わってもらってもいいですか」という旨のメールが届いた。N君はK君の大学の同級生で、もうすでに交代してもらえる了承もとってあるとのこと。あの時とは違った素早い対応に「また風邪かなぁ…」と思いつつ、「わかりました。お大事に」と返信。ところが、そのつぎのケア予定日に顔を見せたK君はうつろな瞳で「今日は、松兼さんに折り入ってお話があるんです」と切り出した。聞けば、1カ月ほど前から眠れない日がつづき、いつもどうしようもない不安に襲われるようになったという。「以前から前兆はあったんですけど、あんまり症状がひどくなったんで精神科に行ったら、神経症だと診断されました」。それが、メールで伝えてきた体調不良の原因だったのだ。病院で処方された睡眠薬で多少は眠れるようになったものの、その副作用で足もとがふらつき、相変わらずの不安がつきまとう今の状態では「ケアしていく自信がないんです。もしケア中に『ケガをさせてしまったら』と考えると、余計に不安が大きくなってしまって。それで体調が戻るまで、しばらくお休みさせていただけませんか」。
そう言ったK君の顔には悲壮感が漂い、言葉の合間合間には執拗に「申し訳ありません」をくり返した。それだけ、彼の心は悲鳴をあげていたのだろう。思いも寄らなかった申し出に一瞬、答えに窮したが、直後にその心が何かしらのケアを求めていると察知した私は、数人の友人が彼と同じような症状になった経緯を話した上で、「よくあることだから、あんまり気にしないほうがいいよ」と言った。
でも、K君はその日もわが家に来る途中で気分が辛くなり「よほど玲さんに電話してお休みしようか」とも考えたそうだ。ただそこで私とのいろいろなやりとりがフラッシュバックし、「松兼さんに直接会って、ちゃんと事情を説明しなくては」と自分自身にムチを打ってわが家までたどり着いたという。
そんな彼に「とりあえずしばらく休んで、また具合が良くなったら来てよ」と返すと、「ハイ、良くなり次第、必ずメールで連絡します」と弱々しかった声に精一杯の力を込めた。そして「今日もちゃんとできるかどうかわからないんですけど、それでも松兼さんが良ければ、最後のケアをやらせてもらってもいいですか?」とたずねてきた。瞬間、正直なところ、こちらの心にも「大丈夫かなぁ……」という思いがかすめた反面、そこでケアを断ったら、K君がもう戻ってきてくれない気がした。第一、その夜は玲さんもすでに出かけていて、彼のケアに頼るほかなかったのだ。だから、K君に向かって「もちろん、お願いします。だけど、今日が“最後”ではないよ」と笑いかけた。1日でも早い復帰を願っての言葉に、K君も「そうでした、ありがとうございます!治ったら、絶対すぐにメールで連絡します」とその日いちばんの笑顔を見せた。
