介護マガジン

ケアの達人日記

Vol.66 お腹ゴロゴロの1泊2日

正露丸のおまじない効果

障害のある人たちの芸術文化活動を推進する財団法人の理事会に出席するため、1泊2日で奈良に出かけることになった。外出先に車イス用トイレがなかったり、あってもわが家のトイレとは便座の高さも手すりの位置も違ってうまく踏ん張れない場合が多いので、泊まりがけの外出の際には必ず、前日にわが家で大便をするようにしている。そうすれば帰宅するまでの2,3日は、便意を抑えられるのが常である。ところが今回は前日にわが家のトイレで踏ん張っても、お腹がゴロゴロするばかりでなかなか便がスッキリ出なかった。それでも翌日からの奈良行きを考えると、「ちゃんと出しておかなければ」と焦り、3時間近くも便座に座りつづけた。
とはいえ、焦れば焦るほど、便は出にくくなって、気がつくと、足腰が筋肉痛のように痛み出した。その様子に気づいて、助手の玲さんが仕事部屋から「これ以上、座っていても疲れて明日に響くだけだから、もう出てきたら」と言った。彼女の声に私も「そうだね」と応え、トイレを離れることに。反面、これまで何度も外出先のトイレで悪戦苦闘してきた場面がよみがえり、「明日、大丈夫かなぁ……」という不安は尽きなかった。その不安を助長するごとくに、夜になってもお腹が不気味にゴロゴロしつづけた。そこで夕食の後で、玲さんに正露丸を飲ませてもらった。昔から正露丸を飲むと、便が固まり、トイレに行く回数が減る効果があるからだ。そう思って正露丸を飲むと、ほどなくお腹のゴロゴロが止まり、ついさっきまでの不安が次第に遠ざかっていった。それはある意味、疑心暗鬼の不安を和らげるおまじない効果でもあったかもしれない。

“ビールの整腸作用"

ただ、もちろん残念ながらそれは絶対的なものではない。翌日、朝8時過ぎに家を出て、中央線で東京駅に向かっている道すがらに前日のお腹のゴロゴロがぶり返した。とっさに「やっぱり来たか……ヤバイなぁ」とうつむいたが、新幹線の発車時間が迫っていたこともあり、とりあえずそのまま車内に乗り込んだ。そして新幹線が発車後、20分ほどしてお腹のゴロゴロが心配していたかすかな便意を引き起こした。
座席の近くに車イスのまま入れる洋式トイレはあったものの、走行中の揺れもあり、不安定な状態でのトイレには自信がなく、「なんとか便意を抑えなくちゃ」と、前屈みになって右手でお腹のあたりを温めるように押さえた。それを見て、隣りの席の玲さんが「ビールを飲んだほうがいんじゃないの」と誘い水を向けた。正露丸と同様に、どういうわけかビールをストローで飲むと、異変をもたらすお腹のゴロゴロがスーと引いて、便意が遠ざかっていくためである。お酒好きの私ゆえ、何とも都合の良い特効薬だと思われるかもしれないし、単にアルコールが便を硬くしているだけで、医学的には正しい表現ではないと分かっていながらも、それを勝手に“ビールの整腸作用"と呼んでいる。
実際、玲さんに初めて出逢った頃に“ビールの整腸作用"を口にした時、「昼間からビールを飲む口実じゃないの!?」と疑われた。でも、玲さんは外出先で私の大便を介助する大変さを何度も身をもって体験していくうちに、こちらの言い分を信じるようになったのだろう。最近ではこちらがお腹の調子で少しでも顔色を悪くすると即、彼女の方からビールでの奥の手を口にするようになったのだ。

早すぎるくり返し

新幹線の車内でも玲さんに勧められた缶ビールを一気に飲み干すと、便意はまたすぐに遠ざかっていった。とはいえ、ホッとしたのもつかの間、奈良への乗り継ぎの京都駅で軽い昼食をとろうと入った喫茶店のメニューを見だすとたん、あの不気味なお腹のゴロゴロが再発した。“ビールの整腸作用"もむろん、一時的な効果であり、出すものを出さない限り、時間が経てばまた同じような便意が戻ってくるのも常である。とはいえ、そこで落ち着いて出来るトイレがなければ、再度、ビールを飲んだり、正露丸を服用する。旅行の日数が長くなればなるほど、どうしてもそんなくり返しが多くなってしまう。ただ、新幹線の車内で最初に缶ビールを飲んでからまだ1時間半足らずしか経っておらず、いつにないその間隔の短さに「ちょっと早すぎるなぁ……」と動揺しつつ、玲さんに「僕はビールだけでいいや」と言った。

禁物の飲み物

 “ビールの整腸作用"でまたもその場のお腹のゴロゴロはすぐに遠ざかっていき、それと同時に空腹を覚えた。スパゲッティを食べていた玲さんを見て、「やっぱり僕も食べようかなぁ」と思ったものの、奈良の理事会会場まではまだ1時間半以上はゆうにかかった。その間に「お腹のゴロゴロが戻ってきたら嫌だなぁ」と考えると、不安が空腹を上回って「ここで何か食べて、腸を刺激しないほうがいいかも」と食欲を我慢した。
何も食べないまま、午後の2時過ぎに理事会会場に着くと、スタッフの一人が会議の前に「コーヒーはいかがですか」と勧めてくれた。その瞬間、玲さんと顔を見合わせて小さく苦笑い。そして以心伝心で私の気持ちを読み取った玲さんが、「コーヒーは私だけにして、彼にはお茶にしていただけますか」と応えた。すると、かなり以前から親交のあるスタッフは「松兼さんって、コーヒー嫌いでしたっけ?」と首をかしげた。「嫌いではないんですけど……」とふたたび苦笑いした私に、玲さんが「今朝からちょっとお腹の調子が悪いもので」とつづけた。これも昔からの習性なのだが、コーヒーを飲むと便意が誘発される確率が高くなる。だから、普段の朝は必ずコーヒーを飲んで便を出やすくしている一方で、出先では逆に万が一トイレを失敗してしまうことを恐れてできるだけ飲まないようにしている。とりわけ、少しでもお腹がゴロゴロする日にはビールとは正反対の絶対に禁物の飲み物になるのである。スタッフにそんないきさつを話すと、「障害をもって出かけると、みんなそれぞれに人知れずの気苦労があるんですね」とうなった。

帰宅するまで何とか

理事会の終了後に夕食を兼ねた懇談会が開かれ、食卓には各種のお酒と手作り料理の数々が並んだ。懇談会が始まり、周りの人たちからつぎつぎにお酌されるビールを飲んでいると、ほろ酔い気分とともにお腹のゴロゴロもトイレの不安もすっかり消えて、忘れていた空腹を思い出した。それを満たそうと勢いよく手作り料理をほおばり、二次会と称して数人のスタッフと一緒にうどん屋にも足を伸ばした。そこまで行くと口にしたお酒も相当の量になっていて、宿泊先のホテルに着くと気持ちの良いままで即、眠りにつけた。
ところが翌朝、目が覚めると前夜にかなりの量の食事をしたためもあって、ふたたびかすかな便意を感じた。私たちは泊まった部屋には手すりとウォッシュレットがついた車イス用トイレがあり、「ホテルを出る前にここでトイレへ行っておいたほうがいいかなぁ」とも思った。ただ、正露丸やビールでの対症療法をくり返していると、腸の中の便が硬くなり、便意に急いでトイレに座ってもなかなかスッキリ出ないで、数時間単位で粘らなければならないケースが多くなる。それを考えると、チェックアウトの時間が迫っていたホテルの部屋でのトイレはためらわれ、「とりあえず早くどこかでビールを飲んで、帰宅するまで何とか便意を抑えてしまおう」と考えた。

不安を断ち切って

ホテルを出て、まずは在来線の電車に乗って京都駅まで行くことに。でも京都駅に着き、隣接するデパートのレストランの一店で店員に誘導されてテーブルに着くや否や、お腹のゴロゴロが今度は急激な便意に変わった。顔面からあっという間に血の気が引いていき、「ビールよりいますぐにトイレへ行ったほうがいいかも……」と言い出そうとした瞬間、それに気づいた玲さんが「お腹の調子悪い? トイレへ行ったほうがいいんじゃないの?」。その声に「ウン」とうなずくと、玲さんは店員にに私が「急に具合が悪くなったので」と謝り、そのまま店を出て車イス用トイレへ走った。
ところが運悪く、すぐ近くにあった車イス用トイレは使用中で、玲さんは別の車イス用トイレを探して、慣れないレストラン街を10分近く息を切らせて走りつづけた。にもかかわらず、やっとのことでたどり着いた車イス用トイレに座った時には便意が弱まっていた上、普段と違うトイレではやはりうまく踏ん張れず、数10分経っても便はいっさい出なかった。 その間、玲さんは私の車イスに座って、持っていた本を読んでいた。こちらの気持ちを焦らせないようにする配慮だったが、旅行前日からのお腹ゴロゴロに右往左往している私の近くにいて、玲さん自身も少なからずのストレスを感じていたに違いない。30分以上が経とうとした頃、彼女が「ここで正露丸を飲んで、そのまま新幹線に乗って早く東京へ帰ったほうがいいんじゃない」と言った。その言葉に、私もトイレを離れがたかった不安を断ち切って車中の人となった。新幹線が発車してしばらくすると、玲さんが「私だけ、ごめんね」と恐縮しながら昼食の駅弁を食べはじめた。「いいよ、いいよー遠慮しないで食べて」と笑って返した私は、ついさっきの急激な便意が戻ってこないようにと、性懲りもなくまたまた缶ビール一缶を飲み干した。どうにかこうにか帰宅するまでそれ以上のトラブルは起きなかったが、その夜、わが家のトイレでも硬くなった便を出すのに3時間近くがかかり、お腹ゴロゴロに振り回された1泊2日がようやく終わった。