介護マガジン

ケアの達人日記

Vol.69 2人でハメを外せた日

仕事にならない予感

友人のシンさんが、途中のコンビニで買ったお昼ご飯を持って12時過ぎに「こんにちは!」と、玄関のドアを開けた。彼の声に、私も待ってましたとばかりに声を弾ませて「どうも!」と応えた。その日、助手の玲さんは午前中から所用で出かけていたので、代わりにちょうど仕事が休みだったシンさんがわが家に来てくれたのだ。
通常、玲さん以外の人に昼間の時間帯からケアに入ってもらう場合、私はお昼ご飯とトイレを済ませると、パソコンの前に座って仕事をする。その間に、ケア者には部屋の掃除、買い物や夕食の支度を頼んでいるが、その日は早めに入浴して電車でシンさんと何処かへ外食に出かけようと思っていた。だから、入浴までの時間はシンさんが私に対してやることはとりたててなく、事前にシンさんに送ったメールには一応、「何か(時間つぶしの)仕事を持ってきてください」と打っていた。それに応えて、シンさんは書き仕事をするためのノートパソコンを持参していた。でも、一方では「相手がシンさんだから、仕事にならないかもなぁ」という予感もしていた。

以心伝心の昼ビー

その予感通りにシンさんは買ってきたお昼ご飯を机に並べながら、以心伝心するように「1本だけ、飲んじゃおうか?」といたずらっぽく笑った。私自身、まさに同じことを言い出そうとしていた瞬間だった。あまりのグッドタイミングに、「やっぱり考えることは同じだね」と大笑い。1本とは、冷蔵庫でほどよく冷えていた缶ビールのこと。シンさんは「そうだよね…1本ぐらい飲んだって、2人とも酔っぱらわないからちゃんと仕事できるよ」とおどけて、冷蔵庫に急いだ。そこから2人分の缶ビールを持ってきて「たまには昼ビー(昼間のビール)も許されるよ」と言葉をつづけたシンさんに、こちらも「ビールが潤滑油になって、かえって仕事がはかどるかもね」。都合よく昼ビーを正当化しようとしている自分たちのそんな会話がおかしくて、さっそく楽しい気分になった。

いつにない開放感

前回分をふくめ、この欄でも何度か登場してもらっているシンさんは、お父さんと二人で営んでいる実家のお寺でお坊さんをしている。その仕事の合間をぬって、彼自身の妹で以前からの友人だったマナさんの紹介で3年半ほど前から月に数回、夕方の入浴と食事のケアに入るようになった。それまではケアに関する知識も経験もほとんどなかったが、私と同様、大のお酒好きで、人に対する旺盛な好奇心を持っている。それが私たちの距離をあっと言う間に縮め、ケアに入った夜は入浴後に必ず、二人して家や外食先で愉快な宴会を楽しむようになった。不思議なもので、そうなると私に対するケアの仕方も驚くほど上達し、安心して身を預けられるようになった。それをシンさん本人に伝えると「オレは教科書じゃなくて、功さんとのお酒で(ケアの仕方を)覚えたんだよ」と照れ笑いした。
たしかに、その通りかもしれない。たとえばお互いに酔えば酔うほど必然、2人ともトイレに行きたくなる回数が増える。私の場合、外食先では店の外などに人影が少ないスペースを見つけ、シンさんの手を借りて尿瓶で用を足すのだが、一緒に飲む機会を重ねるほどに、彼もおのずとその要領を覚えていったのだろう。同時に、飲みはじめる最初か途中で必ず1,2度、「トイレに行きたくなったら、いつでも言って!」と声をかけてくれるようになった。実際のトイレ介助の上達はもとより、そう言われるだけで「いつでもトイレに行けるんだ」という安心感に包まれ、いつになく開放的になってますますお酒が進むのである。同じ私鉄沿線に住んでいることもあって宴会は日付が変わる12時近くまでつづくのが常。時には盛り上がりすぎて、終電を逃してわが家に泊まり、翌朝の電車でお寺の仕事に向かうこともある。歳は私より15歳ほど若いにもかかわらず、そんな関係をくり返しているうちに、シンさんが親友とも呼べるとても身近な存在になっていった。

案の定の成り行き

松兼さんと友人のシンさん話は、以心伝心するごとくの昼ビー(昼間のビール)の一件に戻って。それを口にすると、案の定、2人ともいつものように身も心も開放的になっていった。1本目の缶ビールを飲み干すと、シンさんが「やっぱり、たまの昼ビーは全身にしみて旨いね!」と歓声を上げた。その意をくんで、私は「もう1本だけ、飲んじゃおうか」とニヤリ。すると、シンさんは「玲さんもいないことだし、もう1本ぐらいなら大丈夫だよね」と声をおどけさせて、冷蔵庫に2本目を取りに行った。その時点ではまだ「これを飲んだら、1時間でもパソコンに向かおう」と思っていた。とはいえ、2本目を飲みはじめると勢いづき、ますますいい気分になって、あっという間に2人の缶ビールが空になり、今度は期せずして顔を見合わせたシンさんが「最後にもう1本だけ、飲んじゃおうか」とウインク。そこで私が断るはずはなく「ウン、そうしよう」とまたまたニヤリ。ストロー入りの新しい缶ビールを私の前に差し出したシンさんは、自分自身にも言い聞かせるように「これがホントに最後だからね」とほくそ笑んだ。
その言葉に怪しくうなずきながら、頭の中では3,4日前に買った限定品の芋焼酎のことを思い出していた。折しも、ながら見していたテレビでは10年ほど後前に人気を博した酒井法子さん主演のドラマの再放送が始まった。視線をそちらに向けると「のりピー、なつかしいね」ということになり、私はソファに寄っかかり、シンさんは肘をついて床に寝転んでしばし画面を見入った。

日常を忘れて

そんなまったりムードに乗じ、シンさんに「おいしい芋焼酎があるから、飲もうか」と誘い水を向けると、笑って「飲みたいけど……功さん、仕事は大丈夫?」と社交辞令的に尋ねてきた。「ウン!今日は前から半分、シンさんとハメを外しちゃおうって思っていたんだ」。こちらも笑いながらの応えに、シンさんは「じつはオレも同じことを考えていたんだよね」と吹き出した。だったら、最初からハメを外すことを申し合わせておけば良かったと思い「格好つけてパソコンを持ってきてもらっちゃってゴメンね」とほろ酔い口調で返すと「とんでもない!昼間からこんなに楽しいお酒が飲めて幸せですよ」。
それは、私自身の気持ちでもあった。フリーの立場で仕事をしていると、普段はカレンダー上の休日に合わせて休むことはめったになく、1日のうちに必ず1度はパソコンに向かって何かしら仕事をしなければ落ち着かない癖がついて。くわえて、昼間からケアを頼んでいる場合、前述したようにそのケア者が順番に昼食介助、部屋の掃除、買い物などの仕事をこなしていく中で、私だけが仕事を休んでくつろぐのはやはり何となくバツが悪い。それだけに、どうしてもパソコンの前に座る時間が長くなる。一方、その日のシンさんは一緒に休みを楽しむ雰囲気を醸し出してくれたのだ。事前に察知していた[仕事にならない予感]は、私本人がそうなることを望んでいた裏返しに他ならなかった。もちろんコンスタントに日々の生活や仕事をサポートしてくれるケア者の存在が、私の命綱になっていることは言うまでもない。一方で、時には日常を忘れて共にリフレッシュする時間が持てるシンさんのような存在も欠かせない。

聞いてもらいたいこと

さて、芋焼酎の水割りの酔いでなおさら勢いづくと「きょうはちょっと早くお風呂に入って、六本木にあるおいしい串カツ屋に行こうか」と提案した私。するとシンさんも「それはいいね! 功さんにS子のことも聞いてもらいたいし」。彼が口にしたS子さんとは2年ほど前からの彼の恋人である。つき合いだした当初、わが家にケアに来る数時間前にシンさんから「今夜、一緒に連れて行きたい人がいるんです」というメールが届き「きっと彼女だなぁ」とピンと来た。幼少時代、海外生活の経験があったというS子さんは初対面の私の言語障害にも臆せず、気持ちよく会話に加わってくれ、楽しいひと時になった。シンさんの耳元で「とってもいい感じだね」というと「だから、功さんに会ってほしかったんだよね」。以来、何度となくS子さんも交えての宴会を催したが、ここ数ヵ月、お互いの多忙もあって、すれ違いがつづき「もう別れるかもしれない」と肩を落としていたシンさん。じつは私もその後の2人の動向が気になっていて、ハメを外した勢いでそれを聞き出そうと思っていた。

しがらみを超えて

六本木の串カツ屋までは待てないとばかりに、4時ちょっとすぎにお風呂に入りはじめたとたん、シンさんが「じつはね」とS子さんとのそれからを話し始めた。聞けば、恋人関係でお互いを縛るより、友だちに戻って気楽につき合おうということになったとのこと。そこまでに至ったいきさつを話すシンさんの口調と顔には、明らかに未練な気持ちが漂っていた。それでも、直後にシンさんは「S子との事は別にして、近々、一度イヨさんを(わが家に)連れてくるからね」と小さく笑った。イヨさんはS子さんの中学校時代からの親友で、障害のある人たちの在宅ケアを仕事にしている。シンさんとS子さんを介して、イヨさんも私のことを知っていて、去年のお正月にはシンさんの実家のお寺で対面もしていた。その時、シンさんは「とっても人がいいし、オレなんかよりずっとケアのプロだから、功さんのところにもお手伝いに行ってもらえたらいいなぁ」と言っていた。それを受けてイヨさんも「ぜひお伺いしたいです」と快諾してくれたものの、これまではなかなか実現する機会がなかった。とはいえ、シンさんとS子さんとの別れ話が持ち上がった頃、2年近く定期的にケアに入っていた大学生が病気で来られなくなってしまい、毎日のケア者が不足気味になっていた。そこでシンさんがイヨさんのことを思いだし、私とまた引き合わそうとしてくれたのだ。内心、うまくいかなくなった恋人の親友と顔を合わせるのはかなり気まずかったかもしれない。にもかかわらず、シンさんはその後、実際にイヨさんをわが家に連れてきて、自ら私に対する入浴や食事の介助の模範を見せた。そこにあったのは、私を思うシンさんの優しさと人間としての器の大きさだった。
シンさんの言葉通り、イヨさんは気さくでケアのスキルも高い。おまけに私たちと同じくお酒好きで、ケアのたびに一緒に楽しく晩酌している。類は友を呼ぶらしい。それも、シンさんがしがらみを超えてイヨさんと私を結んでくれたおかげである。