介護マガジン
ほっとライン寄席
Vol.77 ● 看板の一
え〜。毎度この、お運びをいただきありがとうございます。
前回は、碁、将棋の話をしましたが、人間一番夢中になりやすいのは、バクチだそうです。これは、どうかすると儲かる可能性がありますから、ついついのめりこむという。負けた時のことは忘れ、勝ったときのイメージしか残らないようです。
今は、バクチといいましても、競馬、パチンコ、競輪など色々ありますが、昔は、花札かさいころぐらいのものです。
あの“さいころ”というものを作ったのは誰かと思いましたら、あの有名なお釈迦さまだそうです。インドに、サイという動物がいますが、サイの角から作ったのが、本当の“さいころ”だそうで。もっともインド語でサイというかどうかわかりませんが…。
当時、インドは大変に殺伐としておりまして、お釈迦さまが、ありがたい法話をしてもなかなか人が集まらない。それではいけないというので、この“さいころ”を作ってバクチをやらして人を集め、そのあがったお金で、祇園精舎というありがたいお寺をつくった。 ですから今でも、バクチ場で取られるお金のことを「てらせん」(寺銭)といいます。
すっかり取られてなくなっちゃたのを、「おしゃかになった」… くれぐれも、他で人にしゃべらないでください。
で、この“さいころ”ご存知のように、一から六までの目がきざんでありますが、一のことを「ピン」といいまして、赤く色が塗ってある。これは、太陽をあらわしたんだそうで。一の裏が六、二の裏が五、三の裏が四、裏表の数を足しますと全て七になるという。昔の人はうまいことを考えたものですが。
さいころ、ひとつで遊びますのを「ちょぼいち」、ふたつが「丁半」、みっつが「きつね」、よっつが「よいどう」、いつつが「てんさい」、茶碗の中に入れてやるのが「ちんちろりん」…。別に私、やっているわけじゃない。教わった通りに書いております。
私がよく寄席でやる「看板のピン」という噺。
これは、さいころひとつで遊ぶ“ちょぼいち”というバクチで、老親分が壺皿をふせて、子分達に
「さあ、みんな、はれ!」
ひょいと見ると壷皿からさいころが飛び出して、目が一(ピン)と出ている。親分も、もうろくしたものだと、みんないっせいに一(ピン)へはる。と親分が、
「それじゃ、みんなのはりが決まったところで、この看板の一(ピン)は、こっちへしまって」
と、さいころを、ふところへしまってしまう。
子分が、
「何です。その看板の一(ピン)というのは」
「ちょっと客寄せに看板として出していた一(ピン)のこと。この壺皿の中が勝負だ。ついでに中の目を教えてやろう。俺のにらんだところじゃ、中は五だ。勝負!」
壺をあけると本当に五で。親分は「これがみぬけないようじゃ、もうバクチはよせ」とみんなにお金を返してくれる。感心したひとりが、わきでやってやろうと早速、やってみると、なるほど、みんなピンへはる。これは、もうかったと。
「この看板のピンは、こっちへしまって、ついでに中の目を教えてやろう。俺のにらんだところじゃ、中は五だ。勝負っ!あっ!中もピンだ」
やはり、バクチは、もうからないようで。
